お正月に何を聴く 2019(その2)

年末に入手したアルバムは全部で6枚だが、実は年内に間に合わず、年明け5日過ぎてから到着したブツが1枚あった。それはディランのドキュメンタリー作品『ノー・ディレクション・ホーム』のサントラ盤である。マーティン・スコセッシ監督によるこのドキュメンタリーは3時間を超える長尺モノで、そこに収録された情報量はとにもかくにも膨大である。ディランの音楽的ルーツも詳しく描かれているし、自分が知らない時代の、随分と若いディランを見ることが出来る。これを観たのは数年前なんだが、その時は何故かサントラ盤の存在に思いが至らず、最近になってamazonでディランの作品を調べていて発見したのだ。この盤はディランのブートレグシリーズの内の1枚なんだが、何故か、現在は廃盤扱いで、新品はかなりの高値で取引されているのが現状。しかし、中古価格はそれほどでもなく、運よく超美品を1,800円でゲットした。 

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サントラ盤は、映像やナレーションがない分、曲そのものに没頭できるのが良い。ドキュメンタリーはロイヤル・アルバート・ホールでのライブ、「Like A Rolling Stone」で締めくくられるが、前回書いた『偉大なる復活』のそれと比較すると面白い。前者は、冒頭で、あまりにも有名な客とのやり取りがある。バンド化、エレキ化したディランに対し、旧来のファンが"Judas!"[裏切り者!]と叫び、対し、ディランは"I don't believe you" "You're a liar" とやり返すのだが、字面ではかなり緊迫している様な雰囲気でも、実際にはそれ程でもなく、もっと淡々としたやり取りでしかない。ただ、ディランには反論したいような感情も見え隠れするが、とりあえずは演奏を聴け!といったところだ。実際に、この曲からはそういった抑え込んでいた感情が爆発しているようにも聞こえる。ただし、バンドの演奏は割とゆったり目で、間延びしているが、それでもこの時代の表現方法としては十分だったのかもしれない。これに対して『復活』の方はかなり強力だ。このライブ盤は、バイクの事故後隠遁生活を送っていたディランが、1974年に再開したツアーを収めたものだが、こちらのバージョンは、同じバックバンド(バンド名をホークスからザ・バンドに改名)でありながら、テンポも速く力強いし、歌唱も荒々しく自信に満ち溢れている。これは、再びステージに立てたことに対する喜びなのかもしれない。

バンド化=商業主義という考えから、旧来のファンに糾弾されたのにもかかわらず、この曲が大ヒットしたのは、時代の流れが確実に変わったこのと証明に他ならない。

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さて、ここからが本題。冒頭に書いた6枚の内の残り3枚は、前回紹介したモビー・グレープを知るきっかけになった、細野晴臣率いる、YMOの40周年記念盤(ハイブリッドSACD)だ。YMOのアルバムはアルファレコードのディストリビューターが変わる度にリイシューされているが、自分が所有しているのは1998年に東芝EMIから発売されたものだ。原盤管理会社になってからはソニー・ミュージックと契約しており、アルバム単体でのSACD化は初となる。また、バンドの表記が「YMO」で統一されたのは今回が初めてかもしれない。そのSACDだが、これは今や主流となったフラット・トランスファーではなく、巨匠ボブ・ラディックの手による最新リマスターを使っているが、正直、これには賛否両論あると思う。YMOの場合、録音に関しては悪いという印象はないし、CDにしても、新たにリマスターを施すほどの理由は、購買意欲をそそらせる以外に思い浮かばない。まあ、それが一番の理由でもいいんだが、SACDなら(特別な理由がない限り)フラット・トランスファーが望ましかったと思う。もちろん、ボブ・ラディックくらいの腕ならば、どこからも文句は出ないだろうけど。ついでだが、初回限定盤は、ハイレゾ音源ファイルのダウンロード権(期間限定)が付いてくる。

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さて、今回発売されたのは1st『イエロー・マジック・オーケストラ』(発売当時の正式な名義とタイトルは「細野晴臣 イエロー・マジック・オーケストラ」)とUSリミックス盤『イエロー・マジック・オーケストラ』、そして『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』の3枚だ。YMOテクノサウンドと言えば、初期のこれらのアルバムを思い浮かべる人がほとんどだろう。このピコピコサウンドは世の中を席巻し、街中からこの音が聞こえない日はなかった。昔、ずっと若い頃、例えば、自分はなぜビートルズが来日した時、あの武道館にいなかったのだろう…とか、なぜ、『Sgt』が発表された時に子供だったんだろう…とか、まあ、自分の生まれた時代に対して、何となくコンプレックスを抱いていたわけなんだが、パンク、テクノ、ニューウェーヴの時代を迎えたその瞬間、そういった思いが全て吹き飛んだ。平沢進も言っていたが、「朝起きたら全てが変わっていた」。とにかく、毎日が新しくて、しかも、そういった時代が何年間も続いたのは奇跡みたいなもので、その時代の真っただ中に生きている自分は幸せ者だとさえ思った。そして、その新しいものの中心にいたのが、このYMOだったのだ。

む~ん、長くなりそうなので、この項続く。

 追記:近々、YMOSACDの記事としてまとめる予定です。