36年目の後悔 - 大滝詠一『NIAGARA CONCERT '83』を聴く

死ぬほど好きになった女の子がいて、しかし、ある日突然別れを告げられる「あなたとはもう逢いません」と。それからウン十年経ったある日、友人から連絡を受ける。彼は、自分は不治の病に侵されている、そして、死ぬ前にどうしても伝えたい事がある、と言い、こんな話を始めた。実は、あの時彼女がお前と別れたのには理由があるのだと。…まあ、ドラマとか映画とかではかなりありがちなストーリーだが、例えば、自分が生きていてこんなシチュエーション、即ち、ある出来事に対して何十年も経ってから後悔したり悲しんだり、或いは逆に、嬉しくなったりする事ってあるんだろうか? ビートルズが来日した時自分はお子ちゃまだったので、もしもその当時、チケットが手に入ったのに行かなかったとしても(当たり前だけど)、そりゃ、後悔もへったくれもないけど、もし、その時の自分が中学2年くらいで、しかも、ビートルズには興味がなくて、そのチケットを誰かに譲ってしまったとしよう。その数年後、熱狂的なビートルズマニアになっていたとしたら、そりゃもう、大後悔って事になるだろう。 

今年もこの季節がやって来た。大滝詠一関連の何かしらのブツが発売される季節。それを我々はお布施の時期、と呼んでいるのだが、今年は何とライブアルバム。あの伝説の、83年の西武球場でのそれらしい。えーと、ここで注意。伝説の、なんて言ってるけど、実は、自分にとってはそれほど思い入れのあるもんじゃない。何故かというと、当時の自分は全くもって大滝詠一マニアじゃなかったから。『ロンバケ』にしたって、友人からダビングしてもらったカセットしか持っていなかった。もちろん、その内容は高く評価したし、何よりも松田聖子の『風立ちぬ』は既にマストアイテムにさえなっていた。だが、遡って彼の作品を聴いてみようという感情には至らなかったのだ。それは恐らく、後追いで聴いたはっぴいえんどの作品…というよりも歌唱が、『ロンバケ』のイメージと大きくかけ離れていたからで、何かで耳にしたそれ以前のアルバムも、難解というイメージが強かったからだ。いわゆる”ナイアガラー”になるのは、貸しCD屋で何かの拍子に借りた『ロンバケ』以前の作品に嵌り、しかも他のCDがほぼ廃盤になっていると知った80年代も終わろうとしていた頃だった。要するに廃盤状態が飢餓感を煽り、コレクター魂に火が点いたといったところだろう。だから、このコンサートの当時、大滝に対する思い入れみたいなものはあまりなく、単に、はっぴいえんど出身の、稀代のヒットメーカーという印象しかなかったのだ。だから、このライブアルバム自体にありがたみは感じるけれど、仮に世に出ていなくても困らない、くらいの心境で、むしろ、初回生産限定盤に付属の、大滝をはじめ、シリア・ポールや布谷文夫の動く姿が拝めるDVDの方が、その何十倍も魅かれるものがあるのだ。

f:id:hisonus:20190329191552j:plain

さて、実際にブツを手にしてみると、なるほど、これはたいそう貴重なもので、CD1枚目がタイトルアルバムで、2枚目が大滝の愛するオールディーズナンバーをカバーしたライブ音源集、そして3枚目がお楽しみのDVDとなる。まあ、これで6,480円はどうなの?ってのは言いっこなしだが、とりあえず、お楽しみは最後にして、まずは83年のコンサートから。

曲は、インストが延々と続き、大滝本人はなかなか登場しない。ではこの時間を利用して、ブックレットを読むことにしよう。このブックレットの見てくれはどうやら当時のパンフを再現したものらしい。表紙には「ALL NIGHT NIPPON SUPER FES.'83 ASAHI BEER LIVE JAM With  EIICH OHTAKI  RATS & STAR  SOUTHERN ALL STARS」の文字が躍る。その時突然何かが脳裏をかすめた。と同時に背中に嫌な汗が流れ、体は固まったまま動かない。あの時、36年前の、あの時の、閉じ込められた記憶を必死に蘇らせようとしていた。

今から36年前。バンド仲間から突然電話がかかって来た。今日、サザンのコンサートがあるんだけど行かない?友人が行けなくなってチケット貰ったんだけど、と。場所は…西武球場だってさ、遠いね。あと、ラッツ&スターと…大瀧詠一だって。今から急いで出れば間に合うけどどうする? んー、遠いから、適当に出ようよ。サザンに間に合えばいいんだから…多分そんな会話。

いやね、思い入れなかったんだからさ、それ、観に行ったとしても大して感激しなかったんじゃないかな? そうかな? 本当にそうだろうか? 仮にそうだったとしても、自慢にはなるな(笑)。オレ、大滝個人で行われた最後のコンサートに行ったんだぜ!とか。でもさ、正直、後悔したんだよ。36年目に。なんであの時、じゃあ急いでいこうぜ!って言わなかったのかってね。だってさ、今じゃ、帰りの電車が殺人的に混んでいて、くたくたになって帰宅したって記憶しか残っていないんだから。