大滝詠一『A LONG VACATION VOX』【完全生産限定盤】を聴く(その2)

では、さっそく聴いてみよう!…と、その前に、今回収録された本編の2021リマスターというのが、全くの新しいマスターからのリマスタリングという触れ込みなんだが、同梱されている分厚いブックレットにも、発売前に刊行された『レココレ3月号』のロンバケ特集にも、その詳細が全く記されていない。どうやら、今回のVOXの詳しい内容については、かなり厳しい箝口令が敷かれたらしい。む~ん、参った。この出自の判らない、何か得体の知れぬマスターを聴いたあと、どう解説すればいいのだろう? そこで頼みの綱となったのが、ステレオサウンドから出版された『大滝詠一 A LONG VACATION読本』である。しかし箝口令のせいか、発売日が3月30日なのである。ようやくブツが到着。記事中、エンジニアの内藤哲也氏の発言から、このマスターが84年に作成された「A LONG VACATION SINGLE VOX」用のマスターのセイフティーマスター、即ち、予備として作られたマスターであることが判明した。この「SINGLE VOX」マスターは、企画自体がボツになったため、当時は使用されなかったが、U-Matic(デジタル)にコピーされたもの(第3世代)が91年の「CD選書」で使われ、更にU-Maticにコピーされる前の元コピー(第2世代)が2011年の「30周年記念盤」で使用されている。つまり、基本的には、「30周年記念盤」と今回の「40周年記念盤」に使われたマスターは、限りなく同じものに近い、いわばクローンみたいなものと言ってもいいだろう。ただ、記事を読むと、このマスターにはこすられた(再生した)形跡がほとんどないとのこと。つまり、保管されたまま、ほぼ手付かずだったというわけだ。このこすられていない、というのがリマスタリングに際してどれくらい有利なのかは、正直、一般人には計り知れない領域だろう。だが、内藤氏は、生前、大滝が言っていた、前回と同じ音になるならやらない方がいいという考えを踏襲しているので、まったく変わりがない、ということではないのだろう。

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 では、Disc-1.のCD盤に収録された本編「A LONG VACATION 40th Anniversary Edition」から聴いてみよう。「君は天然色」の冒頭、チューニングのシーン。一聴して判るのが、空気感の違いの様なものと鮮度の良さで、やはり、ピアノのポーン一発が判定のキモだ。一番驚いたのが、イントロのアコースティックギターが鳴った瞬間のピッキングの音。この部分はアコギだけで4人が一斉に鳴らしているのだが、ここでのピックが弦に当たる時の音が極めて明確に聴こえる。録音時はアコギ4本、パーカッション4台、エレキギター2本、ウッドベース1本、エレキベース1本、アプライト2台、グランド2台、ドラムス1台の、総勢17の楽器が一斉に鳴っており、この各楽器の微妙なズレが、ウォールオブサウンドを作り上げているので、こういった細部の音は埋もれてしまいがちだ。いや、埋もれてもいいんだが、完全に埋もれてはならない、とでもいうべきか。つまり、今回の音は、耳を研ぎ澄ませれば、そこのちゃんとあるじゃないか!という音なのだ。だから、前回の30周年記念盤でも、こんなに楽器が鳴っているんだ!という発見があったが、今回は、こんな音まで入っていたんだ!というところか。とにかく30周年記念盤とは明らかに違う音、なのである。

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つぎにBlu-ray Discに収録された本編を聴いてみる。正直言って、当たり前だが圧勝! まず、君は天然色で、とんでもないところから飛び道具の様にいろんな音が飛び出してくる。一瞬、あれ?サラウンドか?と錯覚するほどで、とにかく音場の広がりがハンパない。でもそれは、一瞬あたまを動かすだけで聴こえなくなったりするので、絶妙なセッティングの上で聴こえるということなんだろう。そういえば、昔、スピーカーのセッティングで、それこそ1㎝単位で調整していたが、それ、またやるのか?(笑)、というくらいの誘惑に駆られる音なのである。もっとも、今時のAVアンプにはセッティング用の計測マイクが付いてるので、以前よりは楽に出来るんだろうけど。

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BDのモニタ上の操作画面。

さて、本来ならアナログ盤やカセットテープの音についても述べたいところだが、いかんせん、レコードプレイヤーは普及品、カセットデッキに至っては、故障したまま10年以上が経過しており、再生できる環境にない。ということで、今回はオミットさせていただく。 

最後になるが、この40周年記念盤、当然ながらエンジニアとしての大滝は不在である。生前、ハイレゾ音源に対しては(一度は手を出したが)否定的で、まだ時期ではない、というような事を言っていた。それは、もちろんSACDも同じだろう。ただ、今回の「VOX」を手に入れて気付いたのは、この40年の間に、自分は様々な事を学習したという事実だ。それは、オーディオの事だったり、エンジニア的な事だったり、或いは、フィル・スペクターの事だったり、中三の時やっとの思いで手に入れた『All Things Must Pass』の再研究であったり、アメリカン・ポップスの事であったり…etc。とにかくこのアルバムを知ろうとして仕方がなかったのだ。それに費やした音源や書籍は膨大な量に及ぶ。恐らくこのアルバムを愛した多くの人も同じで、40年という長期に及ぶたくさんの経験と思いが凝集して、この40周年記念盤が出来上がったのだろう。だからこそ、向き合い方も変わる、聴き方も変わる、そして音が変わる。それは、オーディオ的な評論という範疇からは、大きく逸脱した聴き方なんだが、それはもう仕方がない。なにしろ、これを死ぬまで聴いていくことは、もう決まった未来なのだから。

この項、完。