ファーカンダの夜。 ~ファーカンダ『夜のファーカンダ』レコ発ライブに行く~

8月20日、KOW(曽我部晃)と小俣慎一のユニット、ファーカンダのレコ発ライブへ出かけた。
ファーカンダは、メンバーである、おまたんこと、小俣慎一(アコーディオン)と、今回サポートを務めたバックのうち2人が、私と同じバンドのメンバーで(現在はオリジナル楽曲の製作に勤しんでいる…と言っておこう)、まあ、そういったバンドマン繋がりで知ることとなったのだが、KOWさん(アコースティックギター)は、メンバーとのつながりが強く、度々話題に上る人だったので、どうしても会ってみたかった。
場所は四谷のDoppoというライブハウスで、JR四谷駅から程ない場所にあるなかなか素敵なハコ。コロナが再び猛威を振るう中、客席がほぼ埋まるほどの盛況ぶりだ。今回はファーカンダの1stアルバムとなる『夜のファーカンダ』のレコ発ライブということで、アルバム全曲を演奏するとのこと。これ、言うのは簡単だが、アルバム1枚をほぼ完全に再現するというのは、なかなか難しい事なのだ。

ところで、この『夜のファーカンダ』とは一体どういう意味なんだろう?と、おまたんに訊いてみると、ファーカンダは沖縄の言葉で、孫と祖父母との関係の様に、世代を繋ぐという様な意味があるのだとか。更に、この「夜の」の意味は、そもそもファーカンダは育児をする母親とその赤ちゃんの為の音楽、というのがコンセプトのユニットだったらしいのだが、次第に彼等の如何わしい部分が大きくなり始め、本質を覆い尽くしてしまい「夜のファーカンダ」になった、という事らしいが、逆説的に考えれば、その如何わしさこそが彼等の本質であったという事か。

演奏が始まる。アコーディオンが異国情緒を醸し出すが、その異国がどこなのかがよく判らない無国籍性。しかも何か悪意の様なものも見え隠れするが、これが"夜の"という事か。サンバやボサノヴァの要素が見え隠れする曲もあるが、それは、例えば、ピエール・バルーフランシス・レイのサンバとシャンソンの実験的な融合を想起させたりもする。曲調は多岐にわたるが、子供の頃、どこかで聞いた事があるような不思議な旋律は、懐かしくもあり恐怖ですらある。

ファーカンダ。左から、小俣慎一、KOW。右はサポートのドラム、高橋克典

右、サポートのVo、新井圭子。

左、サポートのベース、天崎直人。

それにしても、サポートミュージシャン達の卓越した演奏能力には脱帽。同じバンドマンとして、忸怩たる思いが沸々と湧き上がるのを感じつつも、思いあがるなと自戒の念を強める。幾つになっても、練習と勉強しか道はないのだ。
話が逸れた。とにかく、今回のライブは大満足で、音楽的に何かを掴む切っ掛けとなったのかもしれない。演奏後、KOWさんや他のメンバーと話が出来たのも嬉しかった(無理矢理乾杯の場にまで参加してしまった)。
最後になったが、フロントアクトを務めた中込祐さん(+パンデイロの柳元武さん)達の演奏も、もの凄く良かった。ファーカンダに繋がるものを感じ取ってくれたら嬉しいみたいなことを言っていたが、なるほど、きっと、何かが、どこかの、とある次元で交錯しているのだろうと感じる歌と演奏。思いがけずアルバムをプレゼントされたが、これがまた大傑作! 独特な詩の世界に、洗練された音のチョイスには目を見張るものがある。機会があれば是非もう一度見てみたいものだ。

左、ファーカンダ『夜のファーカンダ』。右、中込祐『ノオト』