ロンバケ40周年記念VOX発売と同時にアナウンスされていたSACD盤が、先日遂に発売となった。当初は、完全限定生産で1000枚限定ナンバリング仕様と発表されていたが、予約が殺到したため、予約期間内のものには全てナンバリングが入る事となった。発売後に初回プレスが4000枚であることが判明したが(4000番台も存在しているとの情報もあり)、これはシングルレイヤーのSACD盤としては異例の枚数らしい。要するに、それだけ、このSACDという規格が一般にはほとんど普及していないということなんだろう。まあ、この辺り、Blu-rayの普及がイマイチなのと似ている。その理由は、恐らくコピーが不可能(出来てもかなりハードルが高い)というのがひとつの要因だと思う。今どき、音を取り出して外へ持ち出せないメディアなど、正直、オーディオおたく以外には不要なものでしかないのだ。いや、もうひとつ、レコード(CD)コレクターもここに入れておこうかな。そもそも、収録がシングルレイヤーなので、SACD専用機かユニバーサルプレイヤーでなければ再生できないのだが、それでも買うナイアガラーは、少なからずいる…いや、大勢いるはずだ(笑)
ところで、今回のSACDの前に、VOXのBlu-rayにはハイレゾ音源(96kHz/24bit)が収録されていたが、音にどれほど違いがあるのかも興味のわくところだ。このハイレゾ音源は、ハイレゾのために一からリマスターしているので、元がCDと同一のリマスター音源ではない。そして、今回のSACDも一からの作業である。もちろんこれは、フォーマット上の問題でもある。
発売がアナウンスされてから、情報が小出しにされ、やがて、スリップケース付きでくりぬかれた窓からプールのイラストが覗くといった仕様が明らかになると、いやがおうにも気分は盛り上がる。さらに、A LONG VACATIONの"A"の文字が赤ではなく金で、スリップケース上部が金のラインにSuper Audio CDの文字…う~ん、これはMobile Fidelityを彷彿とさせるデザインじゃないか! ついでの話だが、VOX発売直後に、アナログ盤の再プレスが発表になり、VOXに収録されるから…との理由で購入しなかったLP盤も予約したのだが、これがSACDと同時発売のため、気分は2倍2倍!(古っ!)で盛り上がった。
さて、ようやく本題。
待望の、大滝初のSACD! である。金色であしらわれたスリップケースを外すと、CD盤とほぼ見分けのつかない本体がお出ましする。違いといえば、帯に上部にある「Super Audio CD」の文字とSACDとDSDのロゴマーク、そして「Super Audio CD対応プレイヤー専用ディスク」の文字くらいだろう。正直、このまま同じCDコーナーに陳列されていたら、間違う可能性もある。なるほど、スリップケース仕様は必然というべきだな。そしてディスク本体。これまた金色で印刷されて、まばゆいばかりに神々しく輝くディスクだ!
では早速拝聴する。もちろん正座で(笑)
まずは天然色から。冒頭のチューニングシーン。これ、レココレの連載記事で初めて知ったんだが、この部分、30周年記念盤のオケで聴くと、一旦テープが止まる箇所がある。これは大滝が、今から演奏始めるよ、って合図を出さない人なので、演奏が始まりそうな気配を感じたら、エンジニアの判断で録音ボタンを押すらしい。つまり、この部分は、始まると思って押したけど始まらなかったので止めた、という事なんだな。この話を知ってからというもの、この冒頭部分でのエンジニア側の緊張が伝わってくる気がして、もう今まで通りには聴けなくなってしまった!
で、ピアノの音。やっぱりこれで決まる!、んだが、…えーと、後ろで鳴ってるボンゴ。この音色が明らかに違う! もちろん、ピアノも違うんだけど、このボンゴの違いが顕著で、鳥肌が立つ!って、もうかよ(笑)。更に、演奏が始まると、このボンゴの音が凄くよく耳に届く。恐らく、歴代の各メディア史上トップだろう。つまり、それだけ音の分離が良く、各楽器のディテールがはっきりわかるという事だ。そして、信じられないくらい、音場が広がっている。『大滝詠一A LONG VACATION読本』を読むと、マスターを担当した内藤哲也氏が、SACDは音場が広がり過ぎる傾向にある、と語っていたが、それを考慮した上でのリマスターでも、なお広がっているのだ。逆に、音が洪水の様に押し寄せるっていう、迫り来るような感覚もナイアガラサウンドでは極めて重要なことなんだが、こちらはやや大人し目。だが、この音の広がりにはちょっと抗えないな。Voは今までのCDでは、ややヒステリックに感じる部分もあったが、SACDではやはり音に丸みがある分安定感がある。この丸みというのはあくまでも自然に聴こえる音、と捉えて欲しい。各種SE音も取って付けた感がなく、例の”ド~ン”も腹に響く。
続く「Velvet Motel」。出だしのギターがやや大人しく聴こえるが、歌が入るとガラリと雰囲気が変わる。大滝の細かなブレスコントロールがはっきりと聴き取れる。最大の聴きどころであるラジと一文字ずつ交互に歌う「ふ・う・け・い・が・ひ・と・つ」の部分。ややハスキー気味の彼女の声に、耳元が思わずぞくっと来る。
テンポも曲調も似た「カナリア諸島にて」も、出だしが繊細で、CDの様ないきなり感がない。やはり大滝の声が素晴らしく、コーラスの分離と溶け込み具合が信じられないほどのバランスの良さで、はて、ここは天国か?と頭を振ってみることしきり。
アナログではB面の1曲目となる「雨のウェンズデイ」。Voの笑っちゃうくらい難解な譜割りが特徴的だが、オーディオ的に最も難しいのは、うおおお~だけで進行して行くパートだ。実はここ、ディレイが掛かっていて、Voはかなり低い部分まで潜って行くのだが、SACDだと他の音に埋もれることなく、この辺りのディテールを難なく聴かせてしまう。まるで音の雨の中で歌っているようじゃないか!
「恋するカレン」は、このアルバムに収められた他のスロー系の曲とは明らかに異なるリバーブ感。Voと楽器が溶け込んで、一体化したような音の壁となって迫って来る感覚がある。歌詞の内容が悲痛な分、哀しみの中にどっぷりと浸かってしまう。なんでも、コーラスを稼ぐために24chを2台シンクロさせて録音しているらしいが、途中、女性コーラスで埋め尽くされる辺りは圧巻!
「FUN×4」。他の曲と比較して、明らかにリバーブ成分が少ないので、至極真っ当な音に聴こえるので、逆に何かほっとする。一番驚いたのは、月に吠える男の声。よく聴くと、喉がコロコロと鳴っているのだが、SACDだと驚異的な再現力で、CDとは段違いのコロコロ具合。いや~、五十嵐浩晃って実はスゲーんだなと思った次第。
最後は「さらばシベリア鉄道」。ピアノはアプライトで、ハンマーに画鋲を打ち込んで演奏しているのだが、これがもう凄い音!CDだと単にヒステリックなアプライトにしか聞こえなかったが、SACDでは、これはもう凶悪な武器を身に纏ったアプライトだ(笑)。ピアニストが(指がつるので)嫌がるのもうなづける(因みに、このロンバケセッションでは、逃げ出したミュージシャンが何人かいるそうだ)。
さて、いろいろと駆け足で紹介して来たが、あらためて感じたのは、今回のSACDはとにかく次元が違うという事。もちろんSACDだからといって、全てのアルバムがCDよりもダントツに優れているとは思わない。特にリイシューでは、そもそもの録音状態だったり、保存状態であったり、様々な要因に左右されるからだ。現実的には、このロンバケもオリジナルのマスターテープは(存在はしているだろうが)既に使い物にはならない状態。従って、このアルバムに使用されたマスターが既にコピー(コピーマスター。全8種が存在している)であるのだ。そして、この、ないものに対して、今後新しい何かを追及して行くことはほどんど限界だと感じる。つまり、それくらいこのSACDは究極であるのだ。冒頭でも触れたが、実際にSACDの再生機器を持っていないという方も多いだろう。しかし、それは、本当に宝の持ち腐れである。このアルバムは、頭のまわりだけで完結する様には作られてはいないのだ。確かに、大滝は、ハイレゾやSACDの製品化には前向きではあったが、それを一時的に保留していた。だからこのSACD化は、故人にとっては不本意だとの意見もある。そして、その意見に反対するつもりはない。だが、それでも、とにかく聴いてみてくれと言いたい。そこには、あなたの知らないロンバケがあるのだから。