花輪和一『みずほ草子 2』

前回の記事で(こちら丸尾末広花輪和一の新刊を紹介したが、発見のあまりの嬉しさに反射的にポチったのだが、花輪の『みずほ草子』の第2巻が発売されていたのに全く気が付かず、あわてて追加注文したという、この体たらくw そのブツがようやく到着したので、早速読んで見た。



『みずほ草子』はタイトルの通り、『呪詛』とは違って怨念や情念といった類のテーマではなく、どちらかと言えば、人間の業だとか祖先の因縁や因果といったものや、自然の中に潜む霊的なものを題材にしている。一応、主人公らしき女の子は登場するが、彼女が特別なアクションを起こすわけでもない。話は非常に突飛で、例えば、登場する女乞食の描写にしても、非常に狡猾かつ貪欲で卑しく描かれているが、地域に影響力を持つ霊能力者の婆さんは、この女乞食を非常に偉い存在として扱う。例えば、自分の短所は自分で気付かなければ意味がない事を女乞食は知っている、だから立派なのだ、みたいな事をいう。つまり、全く価値のない様な人間から、そういった、存在意義を見出したりする。また、死んだ父親の借金で、家や土地、田畑までも持って行かれ、仕方なく祖先の墓場で暮らすおっさん。主人公とその友達の女の子は、毎日施しを与えていたが、このおっさん、墓石の隙間から生えた桃の木に気付いて、亡骸から栄養を吸った桃の実を食べながら先祖が墓参りをしていたから、一家が離散したことに気付く。そこで墓を滅茶苦茶にして、墓石も粉々に砕いて、墓地を更地にしてしまう。そうすることによって、祖先の霊は無縁仏となり墓から解放されるという。そうして、もうここには住む場所がないから他へ行くといい、墓から出てきた銭や金を主人公の子供達に全部あげてしまう。彼はもう、金に対する執着心がなくなってしまったのだ。結局、祖先を敬っているのかそうでないのか、よくわからない結末だが、最終的には祖先からの因果を断ち切ったかたちとなったわけだ。この様に、多角的な視点から類推して新たな価値観を提示する様な物語の展開は、花輪がよく用いる手法である。その視点がカッパだったり天狗だったり、座敷わらしだったり、一文無しのおっさんだったり、霊能力を持った婆さんだったりするわけだ。
さて、最後に画の方だが、やはり画力は前作の第1巻とあまり変わらない様に感じた。『呪詛』は十年越しの集大成で割と古い作品も多く、また、1作品が非常に短いので、緻密な描写が可能だったのかもしれない。それから、本書の値段。少々お高いです。もちろん、かなり上等な紙を使って印刷しているし、装丁もピカピカで美しいけれど、約200ページで1,500円+税はちょいとキツイ。