花輪和一の2冊 『風童 -かぜわらし-』と『みずほ草紙 1』

花輪和一、久々の単行本が2冊同時に刊行された。というか、されていたw 実は『風童 -かぜわらし-』が連載されていたのは2008年〜と、かなり古く、ひょっとしてこのままお蔵入りか?と気を揉んだのだが、今回『みずほ草紙 1』と同時に、無事刊行された。



例えば、帯に書かれた一文。『風童 -かぜわらし-』では「この国には美しい自然があり…」『みずほ草紙 1』では「そこには、この国に生きる人々の知恵が詰まっている」云々。なんか、違うw 確かに、前者は自然の描写が緻密で素晴らしく、心が休まる様な話もあるが、他の多くは、相変わらず人間の「業」を描いたものだ。例によって、起承転結に則った描き方がなされていない作品もあって、主人公に降りかかった災厄が(読み手の思惑とは裏腹に)唐突に解決してしまったり、それで終わりかよ!と突っ込みを入れたくなる様な終わり方も有る、が、これは、花輪作品ではごく当たり前なので、驚くに値しない。だが、『風童 -かぜわらし-』に収録されている「夏の雪」という作品は、終わり方が秀逸だ。内容は、酒を届けるように頼まれた子供が、その瓶を割ってしまい、それから転がるようにどん底まで追い詰められてしまうといった話。思い詰めた挙句、死を選ぼうとした子供が、風童に「もうどうしていいかわからない」というと、「運がいいなあ、それに気付いて」と返される。「どうしたらいいの」と訊くと「このままでいいよ」と。そして、「間違った道を捨てたことが、唯一正しい道だった」と言い残して去って行くのだ。何か禅問答の様なやり取りだが、この後、子供は何事もなかった様に(大人から)許される。まあ、ちびまる子ちゃんなんかにありがちな話なんだがw、死ぬほどの苦しみであっても、それ自体は自分自身の知りうる限りの、非常に狭い世界での出来事でしかなく、実は解決策などは山ほどあるのだ。ただ、子供は、その答えを持つ世界を見つける事ができない。
最新作となる『みずほ草紙 1』は、風童の様な登場人物がおらず、時代も、よく判らない戦国時代から明治大正辺りへと変わっているが、基本的には『風童』の続編的な作品と位置づけてもよいだろう。いつものおどろおどろしい描写も健在だが、全体的には、いい具合に枯れたといってもよい。当たり前だが、漫画家も爺さんになるのだ。この先、彼のペン先からどの様な作品が生み出されるのか、興味は尽きない。