松田聖子のSACD/CDハイブリッド盤を聴く〜第2チクルス『Canary』『Tinker Bell』編

松田聖子SACD第二チクルス、『Canary』と『Tinker Bell』が手元に届いたので、早速聴いてみた…が、その前に、実は今回、発売までにちょっとした騒動があったので、まずはその話から。
この2作の予約が始まったのが今月(2015年9月)の頭だったが、開始して数日で『Tinker Bell』が予約完売になってしまった。これは、第1〜第2チクルスを通じて初めての事。しかも、情報によるとプレス枚数は6枚とも全て同じだという。という事は、このアルバムのみ突出して売れたという事になる。なぜだろう?
例えば、『風立ちぬ』『Pineapple』みたいな超名盤は、自分のようにリイシューされる毎に買っている人も多いと思うが、そういう人たちにとって、実はこのSACDはすんなりと手が出せなかったはずだ。なぜなら、松田聖子のアルバムは、前年の2013年にBluSpecCD2仕様でリイシューされたばかりだから。2年連続で同タイトルアルバムを購入する事に、自分の場合はかなりの逡巡があった。もし、オーディオに然程興味を持ち合わせていない人ならば尚更だろう。つまり、そんな理由からSACD購入を見送った人もかなりいると思うのだ。ならば逆に、CD選書1枚くらいしか持っていない、いや、CDすら買っていない、そんなタイトルならどうだろう? もちろん即買いだ! アルバム自体に強い思い入れがなくとも、当時の松田聖子サウンドの完成形の様な2枚のヒットシングルが収録されている。それをディスクメディアの最終形であるSACDというマテリアルで聴いてみたいしそれを所有したいという衝動には抗えないものがある。だから一斉に飛びついた!…とまあ、あくまでも個人的妄想であるが、これを『Thinker Bell』が速攻で売り切れた理由としてみた。
実は本格的な騒動はこの後。SACDの発売元である「Stereo Sound」が、オーディオショウにブースで出店する際に、『Thinker Bell』を少数ながら販売するとのアナウンスがあったのだ。その数は一日50枚限定。ショウが開催されるのは3日間なので、合計150枚のみとなる。このため、当日、それ目的で会場に足を運んだファンも多かったらしい。可哀想なのは地方組。残る最後の手段、若干数の予約受付がアナウンスされたオンライン販売に全てを賭けるも、開始時間早々にサーバーがダウン。小1時間で復活するも、ものの10分程度で完売と相成った。この騒動のおかげで疑心暗鬼になったファンからは、次回予約となる『Windy Shadow』と『9th Wave』も速攻で売り切れか?とか、サーバーダウンも必至では? といった憶測が早くも飛び交っている。




さて本題。まずは『Canary』から。個人的に非常に気に入っているアルバムだが、その理由はアルバム全体を覆いつくす鬱々とした雰囲気と、ピンと張り詰めた冬の寒さの様な空気感だ。アルバム『ユートピア』以降、直接的な季節の表現はめっきり減ってしまったが、サウンド的な季節感、空気感は相変わらず饒舌だ。このアルバムは個人的に"鈍色 (にびいろ)"といった表現が一番しっくりくる。テンポのある華やかの曲調であっても、なにかくぐもったイメージが強く、それが寒さといった季節感を醸し出している。収録されたシングルチューン「瞳はダイアモンド」(アルバム表記では「Diamond Eyes」)での雨の描写シーン。シングルが発売されたのは秋だが、それがどうしても冷たい雨に思えてしまうのは、作曲がユーミンだからってわけじゃないだろう。このSACDはこれまでのプロジェクトの基本理念を踏襲しており、マスターテープに収録された音を最低限の補正のみでSACDに再現するというもの。従って、あまり足したり引いたりはしていない。だが、このSACDではヴォーカルの高音部分がかなりきつく感じた。アルバム全体を覆う冬のイメージは、ソリッドであくまでも硬質な寒さ。それを具体的な歌詞ではなく、こういった音で引き出したのだろう。だからコーラスでラジを起用したのは非常に理に叶っている。彼女の声はそういったイメージにピタリと合致するのだ(興味を待たれた方は、ぜひ『真昼の舗道』を聴いてもらいたい)。シングル曲は発売後暫くして両A面となった「瞳はダイアモンド」と「蒼いフォトグラフ」だが、アルバムでの違和感はさほどない。ただほんの少しだけ、このアルバムにあって音が柔らかいという印象だ。マイナー系の曲が多く、しっとりとした大人の印象を受けるが、そのアンニュイさは他のどのアルバムにも見る事は出来ない。ゆえに、このアルバムは大人と子供の狭間というよりも、もっと大人の世界に踏み込んだような印象を受けるのである。今までになく息遣いがはっきりと聴こえる録音は、このSACDによって完璧に引き出されているし、多くの後輩アイドルが真似した語尾のしゃくりあげ具合は、もはや名人の域に達していると言っても過言ではない。このあたりの微妙なニュアンスがはっきりと聴いて取れるのである。



続く『Tinker Bell』。先にも述べたように、このアルバムに強い思い入れはない。それはアイドル松田聖子がずいぶんと大人になり、それを追いかけていた自分ももう少年ではなくなっていた…多分、そんなところだろう。だからこそ、逆にこのアルバムは、今までの様な現実世界を表現するというよりは、ちょっと夢の世界で遊びませんか?的なコンセプトなのだろう。お伽話をモチーフにした曲が多く、前作で色濃く打ち出されたマイナー系の曲も少ない。ただ、このアルバムの唯一の欠点は、収録曲が9曲しかないところだろう。確かな理由は不明だ。2曲分に匹敵する長尺の曲があるわけでもないし、トータルタイムとしては他のアルバムよりも短い。ゆえにお得感としてはかなり低いアルバムと判断される。それでも「Sleeping Beauty」の様なアルバム中の名曲は存在する。1曲目「真っ赤なロードスター」。遠ざかるエキゾーストノートが生々しい。音は繊細でちょいとボリューム感に乏しい気もするが、軽快な雰囲気はよく出ている。かなり実験的な感じのイントロ「密林少女(ジャングル・ガール)」は音程に動きが然程ない分、歌いこなすのが難しい曲だ。SACDでは細かなビブラートを軽快に繰り出す辺りがよく再現されて、彼女の歌の上手さを強く認識させる。シングル曲「時間の国のアリス」は、何気なく歌っているように聞こえる部分でも語尾が絶妙にコントロールされているのがよく判る。「AQUARIUS」「不思議な少年」はなにやらUFOをモチーフにした様な作品。前者は疾走感がはんぱない。オケが引っ込みがちな気もするがその分ボーカルの存在感が大きい。シングル曲「ロックン・ルージュ」。ユーミン作曲、松任谷正隆編曲のこのコンビは鉄板だ。ここでも語尾の消え入りそうな部分での表現が絶妙で、今までそれを聴き逃していた事に愕然とする。そして「Sleeping Beauty」。聖子のアルバム最後の曲は名曲と言われているが、その期待を裏切らない最高傑作のひとつ。この1曲をもって、このアルバムが傑作であると評価する人も多いだろう。ただ、音的にはしっとりとした感じではなく、どちらかと言えば、ちょとばかりドライで、その辺りは少し残念な気もする。もう少しグラマラスな音作りをしてもよかった様な気がするのだ。

駆け足で紹介したが、正直、もう少し、出来ればもっと大音量で聴きこんでみると、評価は変わってくるかもしれないが、とりあえず第一印象としてはこんなところだ。この後のアルバムは、自分が松田聖子を積極的に追いかけなかった時期へと突入する。従って、当時のアルバムとの比較は不可能だが、時間があれば、ぜひ取り上げてみたい。