松田聖子のSACD/CDハイブリッド盤を聴く〜第2チクルス『Windy Shadow』『The 9th Wave』編

オーディオ誌「Stereo Sound」とSony Musicの共同企画による、松田聖子のアルバムのSACD化第2チクルスが、通算第6弾となる『Windy Shadow』『The 9th Wave』を持って完結した。今回の2作品はデジタル・マルチ・テープより76cm/secのアナログ・テープに落とされたマスターを元に、従来と同じく必要最低限の調整のみが施されたものをDSD化しマスターとしたものである。
さて、このブログでも何度か書いているのだが、実はリアルタイムでアルバムを購入していたのは『Tinker Bell』まで。しかも、今回の2枚のアルバムは(シングルを除いて)聴いた事すらない。当時の記憶を辿ってみても、レンタルしただとか、友人から借りて録音しただとか、そういうことも一切ない(と思う)。従って、今回、このアルバムの音質については、あまり語る資格がないし、アルバム自体の出来に関しても当時の心境を交えて語ったりする事も出来ない。ただ逆に考えれば、その分純粋に判断できるのかもしれない。



まずは『Windy Shadow』から。アルバム全体としては当時流行のサウンドで、リズムや空間がエレポップ化している。音楽の色褪せない条件として、当時の最先端の音を使い過ぎない、というのが重要なんだが、この作品ではそれはギリギリといった印象で、その辺りが多少残念な気はする。当時、こういったサウンドを前提に作られた作品には、正直食傷気味で、それが原因で長らく洋楽から遠ざかってしまったほどだ。
ところで本作では吉田保によるレコーディング曲、03.「今夜はソフィストケート」(佐野元春)06.「Dancing Café」(杉真理)07.「MAUI」(NOBODY)が含まれている。それらは本SACDのスーパーバイザー、嶋護(しま・もり)氏のお墨付きで、松田聖子の歌声が完璧な形で収録されている。吉田の手によるレコーディングは『Candy』収録の大滝作品「四月のラブレター」「Rock'n'roll Good-bye」以来ということになるが、今回は特別ナイアガラ的な音場作品に割り当てられたという事ではないようだ。もっとも、そのナイアガラ的音場というのも、大滝が実際に行った手法(十数人のプレイヤーで一斉に楽器を演奏し、その時に生じる音のズレから作り上げるウォール・オブ・サウンド)ではなく、リバーブ系のエフェクターを大量に投入するといった方法なので、極めてデジタル的なのだ。それにしても、吉田レコーディングは或る意味やはり特別で、特に06.「Dancing Café」のオケに含まれる超重低音、そのオケから忽然と現れる松田聖子の声そのものの存在感に圧倒されてしまう。まあ、この3作品は録音的な意味では特別だが、だからといって他の作品がダメというわけでない。
最後になるが、このアルバムには、林哲司の作品が2曲ある。「銀色のオートバイ」と「Star」だ。両作品とも非常に出来のよい極上のポップスで、後者は、松田聖子自身の心境を松本隆が代弁して書いたような詩の内容で、リアルタイムで聴いていたら、あまりに痛々しくて、恐らく向かい合うことは出来なかったと思う。松本はこの作品の後、86年の『SUPREME』まで、暫く松田聖子のプロジェクトから離れる事になる。



『The 9th Wave』は初参加となる銀色夏生をはじめとする女性作詞家5名によるアルバムだが、松本隆によって形成された松田聖子像が崩れたり、薄れたり、といった感じはせず、そういった意味では、女性作詞家のみという事が特別に作用しているような感覚はあまりない。それよりも、本作で重要なのは、サウンド・プロデューサーが大村雅朗で、全作品の編曲を彼が担当しているという事。前作では編曲的な意味でのサウンドのバラつき感が否めなかったが、本作では一体感のあるサウンドで、かなり繊細な部分での摺り合せまでもきっちりと行われている感じだ。ただし、エレポップ度は前作を上回る勢いで、やはりギリギリ感が強い。ただ、こちらのアルバムは夏向きなので、全体の爽やかさがそれらをうまく打ち消している。07.「さざなみウェディングロード」(杉真理)の様なポップス感溢れる作品がよい例だろう。シングル曲 08.「天使のウィンク」(尾崎亜美)の疾走感もいいが、(当時から感じていたが)尾崎自身によるコーラスが松田聖子とイマイチマッチしていない様に感じる。というか、ちょっと出過ぎかな、という印象。09.「ティーン・エイジ」は大貫妙子作曲で、極めて彼女らしい癖のある曲だがそつなく歌いこなしている。アルバム最後となる「夏の幻影(シーン)」(尾崎)は、松田聖子のアルバムなので当然名曲だ。"9番目の波は高い"らしい。当時の自分はその波を乗り越える事は出来なかった。青春との決別はきっと別の場所、別の次元だったのだろう。もちろん、30年も経って出逢える奇跡をその時は考えもしなかった。