エンドレスエイト

アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」新作?(ここから先はネタバレ注意という事でお願いします。)
基本的に未放送分の原作は読んでいない、というか、読むのを我慢しているわけだが、それは単に、何の予備知識も無しに純粋に作品を楽しみたいというだけの話。そして、最新放送分の「エンドレスエイト」。連日の蒸し暑さのせいで、もう何回目を何回観たのかも忘れてしまった(それ、蒸し暑さのせいじゃないってw)。多分、正式な放送では今のところ5回目だ。そして、恐らく、「エンドレスエイト」6回目の放送も間違いなく決定だろう。しかし、長門有希以外、この繰り返しがハルヒの願望だという事に気付いていないのであれば、仮にこの「エンドレスエイト」が何度繰り返されようとも、観ている側もまた誰もは気付きはしないのだ。例えそれが、15,521回繰り返されたとしても! 
さて、ここで、長門有希の繰り返した595年分(もちろん、全人類も繰り返している訳だが)を考えてみる。彼女がこの“繰り返し”の事実を誰にも知らせなかったのは、果たして彼女が、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースであったからに他ならないのだろうか? 例えば、彼女の任務が“観測”であり、それを“報告”する事であったとしても、もし、彼女の心の奥底にいつしか芽生えたキョンに対する恋心を彼女自身が適切に処理できないでいるのだとしたら、もしかすると、この延々と繰り返される夏休みの後半を、彼女もまた望んでいたのではないのか? 別れ際、キョンに声を掛けてもらうその一瞬、お面を物欲しげに見ているのに気付いて、買ってあげようとするキョンの挙動、ただそれだけのためにこの夏休みの後半を15,521回、即ち595年分繰り返していたのではないのか、長門よ! …いや、しかしそれを誰かに知らせたとして、この繰り返しは止まらないのだ! それを止めるのは、恐らくもっと他の何か…なのだろう。

このストーリーは誰もが思い浮かべる通り「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(監督:押井守)へのオマージュとみて間違いないだろう。夏休みの後半を永久に繰り返すこの話は、冒頭で文化祭の準備が延々と繰り返される部分に相当するだろう。ラムが望んだ世界は非常に身勝手で、やがて邪魔者は徹底的に排除されてしまうが、それは、ハルヒで言うところの“閉鎖空間”であろう。しかし、現実が幻想と乖離する時、その狭間に僕らは希望を見出す。それが、この世界が繰り返しなどではない、唯一の証なのだ。

※原作未読につき、とんちんかんな考察になっているかもしれませんが、ご容赦願います。