「東京燈夜」の夜。

9月18日、「東京燈夜」と銘打たれたフェイ・ターンさんとKOWさんのライブが碑文谷APIA40に於いて行なわれた。会場に入ると、フェイさんの手によるひょうたんアートがステージの各所に配置され、内蔵されたLEDが怪しげに光り、場内を異空間のごとく照らしている。

フェイさんによるあいさつ代わりの演奏が始まると、空気が何やら柔らかくなっていくのを感じる。実は、テルミンという楽器、不確定要素が強く、不安な気持ちにもなる楽器なんだが、彼女の演奏は極めて正確で、まるでエレクトリックな二胡の様な音にさえ聴こえてくる。
さて、第一部はKOWさんによる演奏。今回は新曲から旧曲まで幅広い選曲だったが、新参者の私にとってはどれもこれもが新鮮に感じる。特に「透明なドラゴン」のアコースティック・バージョンは強く心に刺さった。というのも、この曲はKIATバージョンを最初に聴いていたので、自分にとってはそちらがオリジナルといった感が強い。KIATはメンバー4人が全員手練れで、それぞれが表現力豊かなミュージシャンであるため、実は自分の中ではこの透明であるはずのドラゴンが3Dモデルとして存在していたのだ。それはまるで、ファンタジーRPGに登場するドラゴンの様でもあり、ELPマンティコアやタルカスの様な得体の知れない存在の様に頭の中で具現化していた。しかし、(ライブ終了後に知ったのだが)この曲のオリジナルは約20年前に発表されたアルバム『透明なドラゴン』こそがオリジナルで、そもそもが極めてアコースティック色の強い演奏だったのだ。この透明なドラゴンは、未来を指し示す水先案内人なのか、それとも自分自身の内で暴れる退治すべき存在なのか、それとも対峙し続けるべき存在なのか、或いは自分自身の分身な様な存在なのか、歌詞の内容や意味は、演奏楽器や演奏形態、或いは演奏場所によって変容を遂げる。そんな事を考えながら聴き入っていた(と、ライブ終了後、KOWさんに話した)。
この後、おまたんこと小俣慎一さんとのユニット、ファーカンダの演奏が始まる。私事だが、十日ほど前に母を亡くした自分にとって「ロータス」は心に染み入る曲で、何よりもの供養となった。

さて、いよいよフェイさんの演奏。そもそもテルミンの生演奏を聴いたことが無かったので、自分にとっては未知の領域と言ってもいいだろう。と思っていたら、テルミンはスルーしてピアノの前に。そして「地層」が始まる。地球という生命の営み。途切れそうになっても何とか生き残って、また途切れそうになっては生き残り、この繰り返し。
そして、この繰り返しこそが地球という生命そのものでもあり、今生きる私達そのものである。地層が物語るこの地球という生命が、実は自分自身であることを強く認識させられる、そんな力強くて壮大な作品だ。彼女曰く、この曲が出来たとたん、やり切った感が強くて、曲が作れなくなってしまったそうで、まあ、それくらい全てを出し切った大作なのだろう。
そして、今度こそテルミンの出番。どうやら、今回展示されているひょうたんからインスパイアされた曲のようで、なるほど、潜水艦にも見える大きくなり損ねたひょうたんだ。途中、鵜飼恭子さんをゲストに迎えるが、彼女の世界観に没頭するあまり、テルミンを弾かなかったのは大英断。まあ、あっても良かったんだろうが、鵜飼ワールドを知ってもらいたくて、自分も一緒に聴いていたのだとか(笑)。実際、彼女の世界も独特で、しかも、フェイさんが宇宙ふたごと言っていたように、ふたりはどことなく近い世界で繋がっている。だからこその相性抜群の演奏なのだろう。
さて、テルミンの曲をじっくり堪能したところで、四人によるアンコール。この四人が集まると「チーム電波」となるらしい。最後はKOWさんの代表作のひとつである「蔦」。KIATのアルバムにも入っているし、先月のファーカンダでも演奏された。どこにも分類されることのない音楽としてのプログレ。自分ではそう勝手に思い込んでいるのだが、曲の長さを全く感じさせない超大作である。


左から、鵜飼恭子、フェイ・ターン、KOW、小俣慎一

あっというまに時間は過ぎたが、2時間30分以上はあったんじゃないかな? とにか、この長丁場を全く飽きさせることなく聴かせるのは、ただ曲がよいというだけじゃなくて、演奏力や、ユニットによる変化など、様々な要因があるが、そのうちのひとつが"ひょうたん"であったことは間違いない。素敵なライブだった。

アルバム、左:フェイ・ターン『地層』と、右:KOW『透明なドラゴン』