岩井俊二『番犬は庭を守る』

原発事故が頻発し放射能に汚染された近未来の話。
※以下ネタバレ注意!
そこでは放射能の影響により、人類は臓器移植を繰り返さないと長く生きることは出来ない。男性の生殖機能は失われつつあり、正常な機能を持った男性はごく稀で、大半は子孫を残すことが出来ない。そして、生殖機能だけでなく、第二次性徴期を迎えても男性器が未成熟で、子供のままの形を持つ男性は「小便小僧」と呼ばれていた。正常な機能を持つ者は「種馬」と呼ばれ、精子を売ることで巨万の富を得ることが可能であったが、小便小僧は社会的に虐げられ、その一生を底辺で過ごす事になる。小便小僧である主人公ウマソーは、警備会社に勤める事が出来たが、当然の事ながら、恋愛を成就させることは不可能であった。警備を担当する市長の娘と恋に落ちるが、彼女の善意によって豚の性器を移植され、その事が原因となって恋は終わりを迎える。やがて、その恋愛は市長の知る事となり、ウマソーは「流刑地」と呼ばれる場所へと左遷される。そこは、廃炉となった原発施設であった…。
物語の前半部分はこんなところだが、この小説の最終的な訴えかけが何処にあるのかが非常に判りづらい。世界観としては非常に悲惨な未来で、社会そのものも上手く機能していないし、まるで古臭い西部劇の様な舞台設定だ。しかも、そこには正義の味方や用心棒も現れない。ウマソーと周りの人々は金持ちを除いて、誰一人として報われる者はいない。社会的被害者はやがて加害者となり、負の連鎖は止まる事を知らない。やがてウマソーは完全に性器を失う。
しかし、最終的に見出された希望の光は、子供だった。第三者精子による子供。何の繋がりのない男と、子供を生むことしか正常に機能しない女と、男でも女でもないウマソーとの出会いによって齎された奇跡。自分達の子孫を世に残すのではなく、人類の子として世に残す事。そして、人類を継続させる事が社会の根底にある原動力であるという事。ただ、この結末は、物語のカタルシスにはならない。ほんのちょっと、安堵するだけ。


全編書き下ろし。出版企画自体は3.11と前後するが、具体的な執筆期間は不明。
岩井は、原発に危機感を感じていたにも拘らず、この物語を十数年も放置していた事を後悔したという。

番犬は庭を守る

番犬は庭を守る