丸尾末広 花輪和一 『無惨絵 新英名二十八衆句』

四半世紀の時を経て遂に復刻された『無惨絵 新英名二十八衆句』。今回はポスター・ブック仕様での復刻なので、オフィシャル的には"新生"なのだが、そもそも、自分がこの作品の存在を知った時には、オリジナル版(1988 リブロポート刊)は既に絶版で、高額プレミアムが付いていたし、あまりに希少すぎて、中古店などでもついに現物を手に取る事はなかった。要するに、無惨絵初体験なのだ。



さて、この新生版には発売当時の解説(高橋克彦)がそのまま再掲載されているのだが、どうにもこうにも陳腐化が酷い。要約すると、人類はUFOやエイリアンによって侵略されるとか、ノストラダムスの大予言によって滅亡するだとか、そういった不安や恐怖に苛まされており、そういった時代の雰囲気を打破する為に、このふたりが時代に選ばれたのだと。つまり、より強い刺激を与える事によって、それらの恐怖から開放されるのだと結論付けられているのだ。この考察は、さすがに現在では受け入れられない。いわゆる"とんでも"的な文章で、恐らく評価される事はないだろう。まあ、誤解を恐れずに書くのなら、時代の要請だとか、時代に選ばれた、みたいな書き方は割りと好きだ。でも、それは評論を通り越した全肯定にすぎない。
確かに80年代後半は、世界的にネオ・デカダン(終末思想)の嵐が吹き荒れていて、まあ、判りやすく言えば、人類が2000年代を迎えることが出来るのか?といった懐疑的な思想みたいなものが蔓延していたのだ。日本では、その中心に「ノストラダムスの大予言」があったのは事実だ。勿論、本気で信じている人は殆どいなかったのだが、それは子供の頃に付けられた傷みたいなもので、「1999年第7の月」はいつでも心の隅っこに存在していた。ただ、それは、学校が火事になればテストを受けなくて済む、ってのと同じ考えで、実際に火事は起きないし、また火を付ける人間もいないのだ(まあ、たまにはいるけどw) しかし、全人類が一緒に滅ぶ、とか、日本が『バイオレンス・ジャック』や『マッドマックス』、『北斗の拳』の様な世界になるとか、そういう考えは、中二男子としてはある意味健全であるとも言えるのだろう。1999年、果たして、人類は滅亡しなかった。
話を戻そう。この無惨絵は江戸時代(慶応)に月岡芳年と落合芳幾によって描かれたものの現代版であり、その内容は、「赤ずきん」「舌切雀」の様な童話から、阿部定ヒトラー、等の実在した人物等、広範囲に亘るもので、もちろん、全てが血塗られた、残酷な画集である。ここで、あらためて、この画集の復刻された意義について考えてみる。高橋克彦の、終末思想的雰囲気に対するカンフル剤的な役割、という考察は、現代にも通用するのかといえば、前述の様に、そうは思わない。なにしろ、ネットを徘徊すればものの数分で、よりリアルなエログロ画像に遭遇する事が可能だからである。要するに、現代は、終末思想の時代よりも遥かに終末的であるのだ。だが、そういった写真は、記録として衝撃を与えるが、人間の肉体としての内側を晒しているだけで、心の内に潜む狂気を表現しているわけではないのだ。そういった、人間の内なる狂気を晒す事こそが、月岡芳年と落合芳幾の目指した美学であり、それを継承したのが、この丸尾と花輪であるのだ。表層的な恐怖が蔓延する現代に、彼らの作品を過去の遺物として埋もれさせてはならなかったのだ。


最もグロくない1枚。丸尾の描くマーク・ボラン

無惨絵 新英名二十八衆句 (ビームコミックス)

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