ルー・リードが死去。

ロックを語る時に一番手っ取り早いのがビートルズの文脈を使うことで、(音楽的に彼らの呪縛から逃れたくて)一旦彼らの音楽を墓に葬ったにもかかわらず、自分はそれを使っていた。ただ、当たり前だが、どうしたってその文脈では抜け落ちてしまう音楽がいくつもあって、もう一度、ビートルズに戻るためには、そういった音楽をひとつひとつ丁寧に聴いて行かなければならなくなった。そんな中で、一番大きな存在が、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドだった。そのきっかけは、もちろん、アンディ・ウォーホルであったりするのだが、こういった芸術方面から行き着く音楽がいくつもあった(もちろん、音楽方面から芸術家へと行き着く場合も多々有ったが)。
ロック=衝動である。もしも、非常に傷つきやすいナイーヴな文学少年が、このロックという、糞ガキ共の音楽に染まってしまったのなら、その結果引き起こされるであろう惨劇は起こる前から予測できる。ルーは、ロックという道をヴェルヴェッツというバンドで傷付きながら突き進んだ。やがて、力尽きた彼は、田舎に戻り、平穏無事な生活を取り戻した、にもかかわらず、彼は再び音楽の道を選ぶ。それは、また、再びもがき苦しみながら歩む事を意味していた。
彼の目指していたのは、文学とロックの融合だった。ゆえに、彼の音楽の本質に触れるためには、詩を正しく理解する事が重要であった。初めて彼の詩のを理解した時、心は震えた。そこには、言い知れぬ恐怖が潜んでいたからだ。日曜の朝、目が覚めた時に襲われる、あの得体の知れぬ本物の恐怖だ。そういったロックをそれまで自分は知らなかったのだ。
彼の訃報に触れた時、同じ様な恐怖に襲われた。大好きだったアーティストが死んだのだから、悲しいのは当たり前なのだが、そういった感情を遥に上回ったのが、その恐怖。絶対に起きてはならない事、やってはならない事を、やらかしてしまった…、そういった恐怖。この恐怖によって支配された感情を、この先どう扱って行けばいいのやら、皆目見当が付かない。ジョンが死んでしまった時に感じた、何か、水先案内人を失ってしまった様な、今は、そんな気分なのだ。


個人的な二大バイブル。

「WHITE LIGHT/WHITE HEAT」の45周年記念盤の発売を待たずして逝ってしまった。