ビートルズって人気あったの?

自らの音楽の出発地点は言うまでもなくビートルズであるが、当然ながらその体験はリアルタイムではなく、完全なる後追いであった。自分たちが最初に彼らに触れた時代は、"第2次ビートルズブーム"なるものが吹き荒れていた時期ではあるが、同時か或いはその直後辺りに、様々なタイプのバンドが大ブームを起こしていた。具体的に言えば、ウイングスとベイシティ・ローラーズが同時にチャートを賑わし、クイーン、キッス、エアロスミスの人気が一気に炸裂! といった感じだ(時系列はうろ覚え)。要するに、リアルタイムでのビートルズの本当の姿というものを全く知らない世代なのである。

今月の『レコード・コレクターズ』(2014年2月号)は「ザ・ビートルズ 1964:日米デビュー元年の実像」という特集である。これはつい先日発売になったばかりの『ザ・ビートルズ THE U.S. BOX』の発売に合わせて特集されたものである。この『THE U.S. BOX』というのは、米キャピトルレコードがアメリカ向けに独自に編集して発売したアルバムのBOXセットである。ビートルズは、シングルとアルバムは全くの別物という意図の下にレコード制作を行っていたのだが、売る立場から見た場合の一番のネックは、アルバムにヒットシングルが含まれていない事で、これを重く見たキャピトルはオリジナルアルバムから数曲を削り、ヒットシングルを入れ、削った数曲が溜まると、オリジナル編集盤を制作する、といった独自の方法を生み出した。ビートルズ側はアルバムのコンセプトを無視したこの方法に強く反発したが、それでもアルバムは売れたのだ。日本では、日本盤として発売されたオリジナル盤、キャピトル盤、日本盤が入り乱れ、カタログは大いに混乱を来たしていた。ただし、全く意味の無い仕様の『REVOLVER』だけはさすがに日本では発売されなかった。なにしろ、こいつは、オリジナルアルバムから3曲を削っただけの酷いものだったから(それでもアルバムは売れた)。



さて、話を戻そう。今回の特集は「1964」と書いてある通り、彼らがイギリス本国でデビューした翌々年の話であるり、それはビートルズのレコードが日米で正式に発売された年という事になる。中でも特に目を引いたのが「日本で起こった"ビートルズ現象"の実像」(恩蔵 茂)という記事である。ここでは、リアルタイムでビートルズを体験した彼が、高校時代、周りにはビートルズ好きの人間など殆どいなかったと記している。そもそも洋楽の情報が極端に少なかった時代、洋楽を聴いている若者はほんの僅か、更にイギリスで凄い人気らしいビートルズとかいうバンドを知っている人間など、ほんの一握りだったのかもしれない。これと同じ様な事を、以前、渋谷陽一の著書か何かで読んだ記憶がある。要するに、リアルタイムでの彼らの日本デビューは、今からでは想像できないほど、大した事なかった、のである。

でも、レコードは売れたんでしょ? と思う人も多いかと思う。しかし、当時のヒットチャートは、リクエストハガキ等で順位が決定されてしまうことが殆どで、それは、レコードの売り上げ枚数を正確に集計するシステム自体が存在していなかった事に起因すると考えられる。当時、売り上げ枚数はレコード会社が弾き出したものを適当に発表していたに過ぎない。この記事中では、東芝EMIの初代ディレクターT氏の話として、実際の売り上げ枚数にゼロをひとつ余計に付けた事もあった、と記されている。このT氏とは高嶋弘之氏の事であるが、手持ちの資料を探してみたところ、1994年2月10日付けの日本経済新聞の文化欄に「"作為"のビートルズ人気」という記事を高嶋氏が執筆されているのを発見した。これによると、販売枚数はレコード会社の会議で決定され、それを基に偽のマル秘資料が作成されるのだそうだ。業界誌や音楽雑誌の記者と会う時に、これらの偽マル秘資料をちょいと隠れ気味にテーブルに置き席を外す。記者達はここぞとばかりにその資料を手に取り、その数字を基に記事を書く。これにてビートルズの売り上げ枚数の捏造は完成するのだ。…とまあ、今では考えられない事ではあるが、まさに、時代のなせる業、と言ったところだろう。



さて、ここまで書いて、彼らの人気は事実ではなかったのか?と問われれば、もちろんそうではない。では、このような裏工作がなければ、彼等の人気は日本では生まれなかったのか?という問いに対しては、それは判らないと答えるほか無い。しかしながら、この人気が彼等の素晴らしい作品に裏打ちされているというのは曲げようの無い事実であり、これらの人気工作は、ほんのきっかけに過ぎないというのが、多分、ホントのところであろう。要するに大量の火薬があって、そこに火の着いたマッチを1本放り込んだだけの事、といったところか。
まあ、おじさん達は今でも大騒ぎだ。