この季節に聴きたい。色褪せぬ名盤、松田聖子『Pineapple』

松田聖子の、というより、自分が所有するアイドルポップスの全アルバムの中で順位を付けるとすれば、1位か2位を争うのが松田聖子の『風立ちぬ』か、この『Pineapple』だ。正直なところ、この2枚は、季節によって順位が入れ替わってしまう。そして、今の季節ならば、当然『Pineapple』が1位という事になる。このアルバムは松田聖子のオリジナルアルバムとしては5枚目にあたる作品で、前作が『風立ちぬ』である。
友人宅に泊まりに行った或る日の晩。友人は先に寝てしまい、残された自分はたまたま彼のラジカセの中に入っていたアルバム『風立ちぬ』を聴いた…いや、聴いてしまったのだ。アイドルとしての彼女はもちろん知ってはいたが、それはただ、TVの歌番組でシングル曲を歌う姿だけで、正直なところ、そこいらに居る様な、単なる凡百のアイドルという認識でしかなかった。しかし、その一晩で、即ちアルバム『風立ちぬ』を聴いたその夜に、その認識は一変したのだ。まあ、今考えれば、脂が乗り切った元はっぴいえんどの3人と、一流の作曲家達によって創り出されたアルバムに、衝撃を受けないはずは無かったのだ。
そして、この『Pineapple』は、私自身の意志で購入を決めた、初めての松田聖子のアルバムであった。だからというわけじゃないが、初めて針を落とすその一瞬が、それはもう、待ち遠しくて仕方が無かったのを今でも良く憶えている。1曲目「P・R・E・S・E・N・T」。いきなりの純愛モノ。この出だしのシーケンサーリズムマシン)でまず度肝を抜かれた。確かに、世の中はテクノブームであったが、それと松田聖子は、まだ結び付かなかったのだが、この曲で、確かにリンクしたのだ。だが、例えば、その時代の流行を色濃く反映させてしまうと、その作品の鮮度はすぐに落ちてしまうのは当然で、要するに、陳腐化の度合いを早めてしまうのである。しかし、この取り入れ方は絶妙で、彼女の作品が永遠に色あせない秘密は、このあたりの編曲の妙にあると言ってもよい。ドラマー目線でモノを言わせて貰うと、イントロのリズムマシンハイハットに生のハイハットが被っているが、その一瞬一瞬の微妙な音のずれ方があまりにも新鮮で、更に2コーラス目のAメロで、スネアの入る手前に、もう一個別のスネアを被せてくるあたりも斬新。フィルのフレーズは、高橋幸宏的だし、リズムとしてのドラムの面白さが、色々詰まった曲なのだ。もちろん、他の楽器も素晴らしいのだが、それも全て、松田聖子の歌声ありき、の話である。正直、この曲はフラット気味み歌われている箇所が多いのだが、何か、そのフラットの仕方が絶妙で、切なくなる。これは恐らく、彼女の持つ天性のものだと思うが、とにかく、彼女の歌には表情があるのだ。特筆すべき点として、彼女の歌は、ブレスが殆ど聞こえない。これはマイクを離す、とかの技術ではなく、声量が上手くコントロールできているという事。だからこそ、歌に表情が付けられるのだ。彼女にはかつて、テイクは3回までという伝説があった。つまり、3回録れば、必ずOKテイクが出るという事。今なら、恐らく、フラットした部分を補正を掛けちゃったりするわけで、そうすると、こういったフラットから生じる、儚げな歌い方は全てNGみたくなっちゃう。だから今、ソロでのアイドルが育たないってのは、こういうところにも一因があるのだと思う。自分には、「〜風邪ひいたみたいよと」の部分で、首をかしげて左右に振り、伏せ目がちに歌う彼女の姿が、ありありと目に浮かんだのだ。
そして、もうひとつ書いておきたいことがある。それはこのアルバムの最後の曲「SUNSET BEACH」の事。実はこの曲の歌詞には「死」(「死のうか」)という言葉が使われている。アイドルの曲で「死」が登場する歌詞は極めて珍しいといえる。彼女の気持ちを「死」という言葉を使って試したのだ。それは、アイドル松田聖子が試された瞬間でもあった。そしてこの死という言葉は、自分の心に深く突き刺さって抜けなくなり、このアルバムは永遠(とわ)となった。実は自分も試されていたのだ



このアルバムが発売されたのは1982年5月21日、即ち、32年前の今日だ。今回紹介した最新盤のCDはBlu-specCD2によるもので、音質には期待が持てるが、インレカは歌詞のみ。当時のLP盤に封入されていたカラー8ページの歌詞カードの写真には、大いに心をときめかせたものだった。こういう当時の歌詞カードをダウンロード出来るようなサービスがあってもいいと思う。今のレコード会社ってのは、そういうところに本当に気遣いが無い。それでいて、一言目には、CD売れないとか…いやはやなんとも。




Pineapple

Pineapple