『亜美ちゃんは美人』 綿矢りさ

今月の『文学界』(2011年7月号)に綿矢りさの新作『亜美ちゃんは美人』が発表されたので、早速読んでみた。感想としては、まあ、悪くない。当たり前の話だが、小説とは文学である以前に娯楽である。いくら芥川賞受賞作家だからといって、読んでいて面白くなけりゃ何の意味も無い。んじゃあ、面白いってどういう事かといえば、それは、読んでいてストレスが溜まらないという事だ。その舞台が、日常的であろうと、非日常的であろうと、そこに展開される事象が、ストレス無く情景として浮かんでくる、そういう事。
綿矢の作品を読んでいていつも感じるのは、登場人物が好き勝手に暴走しないというもどかしさだ。登場人物が作家自らの手を離れ、好き勝手に動き出すという話はよく聞くが(北方謙三曰く「勝手に死ぬ」w)、綿矢の場合は、それとは逆に、彼女自身がきちんと意識して暴走させる。だから、その暴走っぷりが容赦ない。本作では"亜美ちゃん"という仲間内でのスーパーアイドルが、不幸な色に染まって行くのだが、今回も可愛いらしい登場人物を自らの手で徹底的に陵辱しました、と言わんばかりだ。アイドルヲタ系の亜美ちゃん応援団君は、数年後にステレオタイプを十倍濃縮したようなエリートサラリーマンになってしまうし…。何かこう、こんなキャラに仕立て上げました、といった無理矢理感を常に感じるのだ。そこでは、登場人物が自らの意思で、自由闊達に動き回ることをしない。
今回の作品は、三人称ではあるが、"さかきちゃん"の視点で話が進むので、一人称に近い表現となる場面も多い。相変わらず女子の嫌な面ばかりが鼻に付くが、それでも、最後、さかきちゃんがその意識をきちんと亜美ちゃんへと向かわせるところが良い。決して見捨てないし、見捨てられない。好きだったのでも、嫌いだったのでもなく、ただただ、嫉妬していただけ。それが時の流れだけで許せるようになったのだとしてもいい。そこに至るまでの見えない物語はきちんと描かれている。


『文学界』7月号。文芸春秋