ザ・フーの『四重人格』と『さらば青春の光』 1

今月号の『レコード・コレクターズ』(2012年1月号)第2特集はザ・フーの『四重人格』(The Who"QUADROPHENIA"1973)だ。これは先月、11月16日に発売になったDELUXE EDITIONの発売を受けてのそれだが、レココレの発売日が毎月15日なので、この特集まで丸々1ヶ月間を待つ羽目になってしまった。勿論、雑誌発売を待たずに購入という事も考えたのだが、個人的に頭がバカになるほど聴き込んだアルバムなので、当然の事ながら多くの関連アイテムは既に入手済み。それでも買う価値があるのかをこの特集を待って判断しようと思った次第。
このアルバムには、ジミーという少年の語る物語が綴られた、分厚い写真集が封入されている。彼は4つの人格を持つが、その人格はザ・フーのメンバー4人のそれである。ご存知の通り、このアルバムには映画が存在する(邦題『さらば青春の光』1979)のだが、『トミー』と同じく、楽曲だけでは物語をわかりやすく伝えたりはしていないし、そのまま映画のストーリーに嵌め込むには多少の無理がある。映画の内容からジミーの性格を引っ張り出せば、それは青春期にありがちな、自分をパラノイアックとスキゾチックが同居するような狂った性格だと思い込むだけの単なるガキで(実は唯のアンフェタミン常用者)、最終的には、破滅的な青春を謳歌したツケによって徹底的に打ちのめされてしまう、という、しょうもない結末。いや、だからこそ、この物語は"THE ROCK"なのである。青春期からモラトリアム期を抜け、大人社会へと一気に飛び出す為の試練。ただ、それは、ここから先のロックの在り方をも意味していた。
この一連の流れをロックそのものに当て嵌めてみる。言うまでも無く、ロック=衝動である。そして、ロックの誕生を1950年代前半と仮定すると、このアルバムの発表された1973年には、既に青春期を超えていた。ここにロックの孕む矛盾があった。若者の代弁者としてのロックはいい大人となり、ロックスターは既に歳を取りすぎていた。衝動が過去の遺物となっても、なお歌い続ける事のジレンマ。衝動が削ぎ落とされたロックは、いつの間にか高尚な音楽へと変貌を遂げようとしていた。しかし、そのほんの数年後、ロックは突然先祖帰りを起こしてしまう。パンク・ロックの登場である(1976年頃)。そして、このアルバムには世界で初めて「パンク」という言葉が登場していた("The Punk and The Godfather")。パンクは予言されていたのだ。しかしこのパンク、本拠地ロンドンでは78年頃、つまり、たったの2年程で終焉を迎えてしまう(勿論パンクというジャンルは残るが)。この終わり方が実にロックらしいとも言えるが、実は、これこそが、ロック・モラトリアム期の終焉そのものではなかったのだろうか? つまり、表向きの、若い労働者階級のカタルシス、といった構図だけでは語ることの出来ない音楽が実は生まれていたのだと考える。いくつかのバンドは、社会や政治にもきちんと対峙し、その衝動は、生活を取り巻く様々な問題に対して向けられていた。現にこの時期と前後して、音楽的、社会的にひとつ上となるバンドが萌芽期を迎えていた。その代表格であるザ・ジャム("The Jam"1977-82)。リーダーのポール・ウェラーの活躍は今更語るまでも無いが、彼らの音楽は現在ではパンクというよりもモッズとして語られる事の方が多いのだ。また、ザ・ポリス("The Polis"1977-84)のメンバーであるスティングは、映画『さらば青春の光』に於いて、モッズの顔役である"エーズ"を演じた。
この項、続く。


映画『さらば青春の光』のパンフと付属のポスター。中央の女性がヒロイン、ステフ役のレスリー・アッシュ、それを挟む形で左がエース役のスティング、右が主人公ジミー役のフィル・ダニエルズ。因みに、左から2番目の女性はモンキー役のトーヤ・ウィルコックスで、現在はロバート・フリップの奥さんだw