続・左利きの話

前回左利きの話で、場面によって左右を使い分ける場合について書いた。例えば、箸は右でペンは左、その逆は出来ない…といった場合を指すのだが、自分に当てはまる例として紹介したものが、よくよく考えてみると、それが、生来のものなのか、はたまた、環境や訓練によって獲得されたものなのか、非常に区別が付き難いものである事に気付いた。生来のものの例えとして、両掌を(お祈りをする時みたく)組んだ時、どちらの手(親指)が上に来るのか?というものがある。これは、環境も訓練も恐らく関係ないが、人によってまちまちである。前回挙げたタオルを絞るという行動だが、これは、どちらの手でタオルを固定し、どちらの手でタオルを捻るのかという事だが、これは何となく生来のものといった気がする。ちなみに胡椒を挽く際に使う手も、基本的にはタオルの場合と変わりが無い。
しかし、ビンや缶の蓋を開ける、グラスを持つ、というのは、何か一連の流れの中で身に付いた、いわば訓練に近いものの様な気がする。即ち、ビンや缶を右手で固定し、左手で開け、そのまま右手でグラスに注ぎ、左手に持ったグラスで飲み物を口に運ぶ、という流れだ。毎晩晩酌(もちろん手酌)をやっていれば、この行動は何度も繰り返されるわけで、それが、単体になった時も同じ動作を起こすだけ、という事の様な気がするのだ。例えば、冷蔵庫にはドアが右開きと左開きの両方が存在するが、もしも右開きの場合なら左手でドアを開け、右手で中のものを取り出すという行動を取らざるを得ないので、それは半ば強制的に訓練される。左開きなら右手でドア、左手で中身を取り出すわけだ。
ところで、初めてギターを手にした時から思っていた事なんだが、もしも、これからギターを習い始めるという右利きの人が、左利き用のギターで練習を始めたらどうなるのだろう?という疑問。もちろん、左利きの人が教えるのだが、何が言いたいのかといえば、その人は右用のギターを使った場合と比較して、著しく上達が劣るのか?という疑問である。ギターってのは最初はコードチェンジなんて全く出来ないし、バレー(セーハ)を使うコード("F"とか)が押さえられないで挫折した人が沢山いるくらい、いくつもの関門がある。つまり、右用でも左用でも、同じく難しい様な気がするし、むしろ(クラシックギターでない限り)右手で弦を抑えた方が楽な様な気さえするのだ。まあ、これは実験したことが無いので判らないが、なんか、ドラムでも最初から左利き様のセッティングで叩き始めたら、何の問題もなく叩ける様な気もする。つまり、世の中には、右利き用だとか、左利き用だとか、そういうのがそもそも関係ないものが沢山有って、単に右利きだから、という理由だけで、右利き用のものを選択しているに過ぎない様な気がするのだ。んじゃあ、何十年経っても上達しないギターを今から左利き用に変えたら、実はジミヘンばりの超絶ギタリストになったりして、な〜んて事は勿論無いw