松田聖子のSACD/CDハイブリッド盤を聴く〜『SQUALL』『ユートピア』『SUPREME』編

オーディオ誌「Stereo Sound」制作による松田聖子SACD/CDハイブリッド盤6作品のうち、『風立ちぬ』『Pineapple』『Candy』の3作品については、このブログで紹介して来たが、今回は残りの3作品をまとめて紹介して行きたいと思う。



デビュー作『SQUALL』。アルバム『風立ちぬ』からのファンである自分にとって初期3枚は完全に後追いで、アルバムもCDは未購入、従ってこのSACDを他のCD盤と比較する事は出来ない。ただこの作品が、他のアルバムと違うのは、松田聖子特有の、あの"キャンディボイス"ではなく、まだデビューしたばかりの透き通るような瑞々しい声で歌われているという事だ。つまり、このアルバムの聴き所は、その一点のみに集約されると言っても過言ではない。
『SQUALL』はトロピカルブームを色濃く反映した内容で、歌声も弾けんばかりに歌い上げるものが多い。ステサンの嶋護(しま・もり)氏の解説によれば、ボーカルはオーバーレブを来たしている箇所もあるそうだ。それ程、声量のある歌声で、恐らく本人も、歌う事に対しての迸る感情をどう押さえていいのか判らない、といった所だったのだろう。驚くのは声量ばかり出なく、高等なテクニックを必要とする様々な歌唱法を非常に上手く使いこなしていると言う点。白眉は何と言ってもタイトル曲「SQUALL」だろう。イントロでのファルセットと地声の丁度中間くらい(ミドルボイス)の非常に柔らかな歌声は、今聴いても心ときめいてしまう。デビュー曲の「裸足の季節」と、彼女を一躍スターダムに押し上げた2nd「青い珊瑚礁」もアルバムに違和感なく溶け込んでいる。このSACDはアナログ・マスターに中低音を補う為の最小限のイコライジング処理と音量調整を行っただけで、DSD化されたもの。歌声はあくまでも丸く柔らかく、耳に優しく響く。アナログ・マスターの音を最大限に生かし、今までのCDの音という固定化されたイメージとは全く異なる方向でリイシューされた事は驚異的である。



ユートピア』は1983年に発売された7枚目のアルバムだが、これも個人的にアナログ盤しか所有していない。録音はデジタル録音だが、マスターはデジタルとアナログの2種類が存在しており、今回のリイシューではアナログ・マスターを使用したとの事。リマスターはこれまでの作品と同じ様にアナログ・マスターの音を最大限に生かすという方向で、ほぼフラット・トランスファーに近い状態でDSD化されている。アルバムの内容としては、キャンディ・ボイスも落ち着きを見せ、しっとりとした歌い方もこなれて来た感じで、様々なタイプの曲が混在するが、個人的にはシングル曲で細野晴臣作曲の「天国のキッス」がお気に入りだ。歌詞の内容としては、渚で溺れるフリをしたら、彼氏に本気に思われて抱きしめられちゃった、ああ、死にそうw みたいな内容だけど、やはり言葉のチョイスが秀逸で、例えば、冒頭の♪ビーズの波を空に飛ばして〜、なんて詩は簡単そうだが、そう書けるもんじゃない。ラストの「メディテーション」は上田知華の手による曲だが、相手に対する無償の愛をテーマに、精神世界で縦横無尽に思いを巡らせるといった、今までにないタイプの名曲だ。



さて、最後は『SUPREME』だが、情け無い事に、アナログ盤もCDも持っていない。正直に言えば、当時、もうアイドルではなくなった(と思われていた)松田聖子には殆ど興味が無かったのだ。というか、今更もう結婚して出産まで控えている彼女を追いかける気はさらさら無かった。だが、このアルバムは友人がCDを所有していたので、それをカセットテープにダビングして聴いていたのだ。アイドルとしては評価出来なかったが、アルバムの出来は非常に高いものだった。ただ、当時は丁度アナログ盤とCD盤の切り替わる時期で、(これから消える運命の)アナログ盤は買いたくないがCDは価格的に700円ほど高く、それが購入に踏み切れない理由のひとつでもあった。
さて、このアルバムの録音は、当然ながらデジタル録音で、今回使用したマスターもデジタルである。しかし、それはCDカッティング用の(フィルターの掛った?)マスターではなく、マルチ・マザーから直接ミックス・ダウンされた曲毎のマスターらしい。そのデジタル・マスターをDA変換し、アナログマスターを作成。それに僅かな手を加えてDSD変換したものが本作である。まあ、手順としてはややこしいが、やはり、今までのSACDと同じくマスターの持つ音を最大限に引き出すという方向性に変化は無い。ただし、録音そのものの違いは如実に表われる。アナログをメインストリームとした音作りとCDのそれとでは、根本的な違いが大きすぎるのだ。だが、それは悪い方向に出ているとは全く思わない。以前の様な、如何にもCD、といったかっちりとした音とは大きく異なり、SACDの持つ懐の深さを思い知らされる新鮮且つ温か味のある音だ。恐らく、ハイレゾ配信のものとは全く違う音になっていると想像できる。
前述の通り、アルバムの内容は非常に高く、特に1曲目の「蛍の草原」は幻想的であると同時に小さなひとつひとつの命が非常に現実的な意味を持つ。それは、最後の曲「瑠璃色の地球」の、地球全体という大きな命へと繋がるのだ。一般的に、カーオーディオなどでは、CDの再生はリピートされる。松本隆はそれを考え、この最後の「瑠璃色の地球」と最初の「蛍の草原」の持つ意味が繋がるように計算して作ったのだという。ひとつひとつの命は次世代へと引き継がれ、永遠にループする。その命の輝きを紡ぎだす歌声は、このSACDへしっかりと収められたのだ。




"Stereo Sound"による松田聖子の全SACD。完全限定盤に付き、現時点で『SQUALL』『風立ちぬ』『Pineapple』は完売となり廃盤。