大滝詠一『DEBUT AGAIN』で震える。

春先になると、必ず、大滝詠一関連のアルバム発売のニュースが舞いこんでくる。彼が亡くなってからというもの、それがなんとなく素直に喜べないのだが、今回のリリースが大滝の"新譜"と聞いて、こころが踊らないわけがない。ただ、何度も書いているように、本人の意志不在のリリースに、完全に納得しているわけではないので、心の底から楽しめないでいる自分がいるのも確かなんだな。
さて、今回の『DEBUT AGAIN』というアルバムは、大滝が様々な歌手に提供した楽曲の、本人歌唱によるバージョン集である。基本的には仮歌と呼ばれるものがメインだ。仮歌は一般的に、作曲者本人か、或いはコーラスを担当する様なプロの歌手が歌うが、大滝の場合は前者で、以前からこの仮歌バージョンの存在が知られていた。しかし、現物の所在は不明で、聴く事は叶わなかった(ただし、近年YouTubeなどに流出した音源がいくつかある)。従って、今回のこのアルバムは、夢の様な企画であるといっても過言ではない。完璧に脳みそに刻み込まれて、ぶっといシナプスが形成されているような楽曲の別バージョンは、聴いた瞬間にドーパミンの大量放出間違いなし、なのである。


初回限定盤には洋楽のカバーが4曲収録されたディスクが付く。


1曲目「熱き心に」は小林旭へ提供されたものだが、オリジナルでアキラが歌うのは、文字通り熱き心なのだが、大滝バージョンは、例によって淡々と歌われる。まあ、内に秘めたる熱き想い、といったところか。しかし、この1曲目からして、心がひどく揺さぶられ、大袈裟でも何でもなく、全身が総毛立ち、体が震えた。音楽でこういう体験をしたのは久しぶりの事。やはり大滝は偉大だと再認識した。
2曲目の「うれしい予感」は御存知、アニメ"ちびまる子ちゃん"のテーマ曲で、オリジナルは渡辺満里奈だ。当然ながら女性キーだし、歌詞は原作者のさくらももこによって書かれたものだから、これを大滝が歌えば、オリジナルとの落差は激しいものになる。ここでの聴き所はなんといっても大滝の低音(女性キーの為かなり低い声で歌われている)で、師が尊敬していたフランク永井を髣髴とさせる。それにしても、満里奈はこの仮歌とは全く違う歌い方をしてるw ま、当時から、歌唱については散々言われてたから仕方ないけど。
4曲目「星空のサーカス」はシャネルズ改め、ラッツ&スターになってからの曲だが、ラッツの各ボーカリストに歌わせるためのコーラスを全て大滝が担当している。まあ、この辺りは大滝の面目躍如といったかんじで、ひとり多重録音ならお手の物。当然、このコーラスも、仮歌としての使命があるわけだ。残念ながら、現在ラッツは解散状態にあるが、大滝はきっと復活を望んでいたんじゃないかなと思う。まあ、その分、マーチンには末永く頑張って欲しい。
7曲目「すこしだけ やさしく」は薬師丸ひろ子だが、これは仮歌ではなく、大滝のコンサート用に作られたバージョン。実は、この楽曲には期待していなかったのだが、図らずも、完全に持っていかれた。キーも大きく関係しているのかもしれないが、大滝の歌う松本隆の歌詞にぐっと来るものがあった。それはオリジナルから来る感情とは、また別のものだった。
9曲目「風立ちぬ」は仮歌やオケではなく、大滝のコンサートからの音源。まあ、今更だが、これはヘッドフォン・コンサートといって、会場にいる観客は、FMウォークマンを使ってステージの音を受信し、それをヘッドフォンで聞くという、何かよく判らない企画のコンサートだった。この音源はかなり以前からYouTubeに流出していたので、ナイアガラーには耳タコだ。個人的には、松田聖子関連なら「冬の妖精」を聴いてみたかった。流出している音源では歌詞とメロがところどころ違うし、オケの楽器バランスもベース強めで女性コーラスが無かったりと、聴き所は多い。まあ、アルバム曲という事だし、摺り合わせ以前の音源という事で、ちょっと製品化は難しいのかもしれない。




10曲目。言わずと知れた名曲「夢で逢えたら」。それこそ数多くの歌手にカバーされているが、個人的にはシリア・ポールのバージョンがベストだ。今回は大滝亡き後に発表されたベスト盤『Best Always』に収録されたものと同じ歌唱だが、オケはストリングス中心のものになっている。

さて、今回のこのアルバム。タイトルは『DEBUT AGAIN』。どういう意味を込めてこのタイトルが冠せられたのかは判らないが、少なくとも"DEBUT"が付くアルバムは過去に2枚存在する。それらは、新規巻き直し的な意味合いで、過去の音源や別テイクを収録したもので、今回もその伝に則ったものなのかもしれない。この先、ナイアガラのプロジェクトがどうなるのか判らないが、恐らくあと何年も、手を変え品を変え、リリースされ続けていくのだろう。そうして、とことん付き合う自分がそこにいる。本当の意味でのお布施だもん、仕方ないやね。