人は歯を食いしばって生きてはならない…らしいっすよ

人には、なくて七癖なんて言葉があるくらい、自覚している、していないに関わらず、いろんな癖を持っているもんだ。まあ、人に迷惑をかけるようなものでなけりゃ、あんまり気にしなくてもいいんだが、そうとも言えないような癖も実際にはあって、まさか、そういうものが自分を苦しめるとは思わなかったなあ…。
話は半年くらい前に遡る。ある日、歯を磨こうとコップの水を口に含んだ時、右上の奥歯がなんとなく沁みた…。まあ、その時はそれほど気にしなかったんだが、数週間か経つうちに冷たい水だけじゃなく、熱いお茶なんかも沁みるようになってきた。でもまだ「あれ、これって"知覚過敏"ってやつかな?まっいいいか」くらいの認識…この時はね。しかし、である。そのうち、ちょっと堅い、そう、煎餅くらいの食べ物に難儀するようになってきた。冷たい熱いはまだしも、堅いものにも難儀するようになると、日常的にも気になってしかたがない。しかし、これはまだ序の口。そのうちに、とんかつくらいの堅さの肉にも(文字通り)閉口するようになる。こうなると、もう、ご飯が全然おいしくない! さすがに歯医者に行かねば…なんて考えてもまだ行かないのが人の常というもの。ところが、症状はさらに悪化して、もう、普段、何も口にしていない状態でもかなり痛い、のである。こうなると、知覚過敏どころか、かなり重症の虫歯かなんかを疑うようになる。ところが、デンタルミラーと手鏡を駆使して、顎が外れるんじゃないかってくらい頑張って探ってみても、虫歯らしきものは見当たらない。そうこうしてるうちに、今度はその痛みが伝染するかの如く広がって、前歯の裏や左上の奥歯まで痛み出して、最終的にはもう上の歯全部が痛い。こうなってからようやく、泣き付く位の勢いで歯医者に駆け込んで、先生、何とかして下さい!となる。
さて、診察台の上で馬鹿みたいに、いや、カバみたいに口をポカーンと空けていると、先生が開口一番こう言ったのだ。虫歯じゃないねえ、と。そうなんです、自分でもよく見たんですけど、虫歯じゃないんです。ひょっとして、歯の根っこが腐って神経がやられてるとか、菌が繁殖して脳に入り込んで悪さをしてるとか、そういうんじゃないんですか!と叫ぼうと思った瞬間に先生はこう言った。曰く、ひょっとして、歯をくいしばって生活してませんか?と。先生、そりゃ、オレだっていい歳なんだから、人生、歯を食いしばって、一生懸命生きてますよ! と言うと、先生は半笑いで、ちがうちがう、そうじゃない…といい、詳しい説明を始めたのだった。

ここからが本題ね。まず、人は口を閉じた時は、舌の先が上の前歯の付け根に軽く接しているのだそうだ。この状態の時、上の歯と下の歯は、ギリギリで接していないのだ。もしも、舌が下の歯の前歯に接しているのなら、高確率で上下全ての歯が接しているのだそうだ。普通、というか、正しい状態というのは常に上下の歯は接しておらず、一日のうち、接しているのはわずか20〜30分程度(食事も含む)なのだそうだ。上下が常に接している場合、歯の表面のエナメル質が削れ、更には歯そのものにかなりの負荷がかかるため、歯全体、そして、歯の根、歯茎と、全てに対して悪影響を与えるのだそうだ。この症状を「くいしばり」といって、大抵の人は気付かないうちに、日常的にかなりの負荷をかけていて、これが知覚過敏の原因となっているのだそうだ。思い当たる節はありませんか、と問われてふと気づく。顔を洗う時、タオルを絞る時、歯を磨く時、チャリンコこぐ時、掃除する時、わんこにボールを投げる時、…etc,etc、もう、かなりの頻度で歯をくいしばっているのだ。先生はカルテを見ると、自分が毎年1〜2回必ず義歯や詰め物を壊してここに訪れている事を指摘。これはくいしばりの典型的な症状で、負荷によってこれらを破壊してしまうのだ。このまま症状が進めば、歯周病を併発したり、歯そのものが割れてしまう事もあるのだとか。恐ろしい事に、既に自分には歯周病の兆候が見られたのだ。更に、知覚過敏の主な原因として、日常的にスポーツドリンクを摂る事が挙げられる。これは、近年の熱中症対策のため、水分をこまめに補給するという予防策が徹底的に周知されたことが、逆に仇となったらしいのだ。つまり、口の中が糖分や酸味料により常に酸性化してしまい、これによってエナメル質が溶けるのだそうだ。また、ビタミンCのタブレットの様な強酸性のものを日常的に摂取していると、簡単に歯が溶けてしまうそうで、かなり危険らしい。また、耳の痛い話だが、長時間による飲酒も危険なのだとか。

この日行った治療は、歯石を取っただけ。後は、常に舌の先を上の前歯の付け根に触れるようにして日常を過ごす事。そして、シュミテクトの試供品を1本渡されて、これで毎日磨いてくださいとのこと。あ、ここの先生、シュミテクトのCMに出てたんだよね。得したわw
さて、それから2週間、痛みは殆どなくなり、沁みる、という事は100%なくなった。そして、思わず歯をくいしばりそうになると、舌の先を上の前歯の付け根にくっつけている自分がいるのだ。ただね、この前、ライブハウスのセッションに参加してさ、録画したビデオを後で見たら、完全にくいしばってドラム叩いてましたww 本当の原因はこれだったのね、という歯無し…いや、話でした。

ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の50周年記念盤を聴く(その2)

ビートルズサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の50周年記念盤。購入した"スーパー・デラックス・ボックス・セット"では、2CD版のDisc-2「コンプリート・アーリー・テイク」が、2枚(Disc-2〜3)に拡充されている。



[Disc-2 コンプリート・アーリー・テイク]
2CD版ではSgtの収録順+「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「ペニー・レイン」という順番だが、このボックス・セットでは、録音された順(時系列)での収録で、まだSgtのコンセプトが発案される以前に録音された「ストロベリー〜」からのスタートとなる。
3.ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(Take-7)
完成版の前半部分に相当するテイクの全編。今回のストロベリー関連は、海賊盤で散々出回ったもので、もう出尽くした感がある。
4.ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(Take-26)
完成版の後半部分に相当するテイクの全編。このテイクはジョンのボーカル入りだが、リダクションされた為、管弦楽器の音量と鮮度が大幅に落ちている。確かにエキセントリックなジョンのボーカルは魅力的だが、リダクション前(Take-25)の管弦楽器+逆行展開のシンバル+リンゴのヘヴィー極まりないドラムのみで構成された圧倒的な存在感には叶わない。

5.ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(ステレオ・ミックス 2015)
『1+』のプロモ・クリップからのCD化だが、これの一体どこがアーリー・テイクなんだ??こんなもん要らないから、それなら代わりにTake-25を収録しろよ、と言いたい。要するに、最終形を提示したかったって事なんだろうけど、誰も2015年のミックスを(特にこのディスクで)聴きたいなんて思わない。こういった独りよがりの選択が、物事をつまらなくしていると思うのだが。
13.ア・デイ・イン・ザ・ライフ(ハムド・ラスト・コード Take-8.9.10.&11)
完成版のコーダ部分はピアノコードだが、それが採用される前の案が、このハミング版だった。ビートルズのバイブルとも言える書籍、「レコーディング・セッション」によれば、1965年2月10日、オーケストラのレコーディングが終わった後、友人達(少なくとも女性ひとりを含む)とでレコーディングされたという記述がある。その中には、ミック・ジャガーキース・リチャーズ、女性はパティやマリアンヌ・フェイスフル等の名前が見受けられるが、残念ながら誰が参加したのかの記述はない。
18.グッドモーニング・グッドモーニング(Take-8)
ビートルズのデビュー以降に製作されたレコード(特にアルバム)は、それ以前の、ライブ演奏の再現を前提として作られたそれと違って、アルバム自体がひとつの完成された作品として認識されるようになった。そして、レコーディング技術の発達とともに、ライブでの演奏が難しい曲が多くなっていったのも、また事実であった。ただ、楽曲は必ずライブでの再現が可能でなくてはならない、という足枷が外れ、それ以外の音楽的な可能性が一気に解放されたともいえる。ビートルズで言えば、『リボルバー』辺りから演奏不可能な曲が増えて行ったのだが、それは、ビートルズの曲は、演奏不可能な部分も重要な構成要素であるということを意味していた。だから、もしも、こういったアンソロジー的な作品集を作るのであれば、演奏以外の音(SE等)を取り上げないのは、いかにも不十分で、聴く者は納得がいかない、のである。
さて、この曲はそんなSEが幅を利かしている代表曲であり、かつ、生演奏の醍醐味も楽しめるといったお得な一曲といえるだろう。だからこそ、この演奏部分だけでなく、SE部分もきっちりと収録してほしかった。もちろん、この手のブート盤は広く出回っており、しかもそれがまた超高音質だったりするのだが。

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[Disc-3 コンプリート・アーリー・テイク]
10.ウィズイン・ユー、ウィズアウト・ユー(Take-1)、11.(ジョージ・コーチング・ザ・ミュージシャンズ)
インド音楽については正直詳しくはないので、録音装置が生まれる前まで、インド音楽がどのように継承されていたのかは知らない。当然ながら、西洋音楽の楽典を当て嵌めてその音楽を語ったりすることは多分難しいだろう。それは、日本の雅楽や、或いは三味線や琴と同じように、楽譜で表記できない表現技法が多すぎるからだ。例えば、日本でいうところの"ちんとんしゃん"みたいな教え方が、インド楽器にもあるのかはわからないが、ジョージのインド楽器奏者に教えるときの"ダマタ〜ニ、ニガ〜ガ"な〜んて摩訶不思議な言葉を聞けるだけでも、ファンとしては悶絶ものなのである。
12.シーズ・リーヴィング・ホーム(Take-1) 13.(Take-6)
ポールが都合の付かないジョージ・マーティンに無断で、勝手にマイク・リーンダーにスコアを依頼してしまったという、いわく付きの曲である。ここでは、マーティンがどうしても気に入らなかったチェロの一節を削除する前のインストを聴くことが出来る。何千何万回と聴いてきた曲の、聴きなれないこの一節が、頭に不意打ちを喰らわす。そもそもアウトテイクに嵌るってのは、そういう不意打ちの虜になるという事であり、それは、何千何万回と聴いていないと訪れない一瞬なのだろう。
14.ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ(Take-2)
初めて買ったビートルズのブート盤は映画『レット・イット・ビー』関連で、恐らく、アビーロード・スタジオ方面ではなく、映画関係の方面から出回ったと思われるもので、所々に映画の信号が入っていてかなり劣悪な音質だったと記憶している。ただ、聴いたことのない音源に大いに胸ときめかせたのはたしかなんだが、そのへっぽこな演奏ぶりにずいぶんと落胆した記憶もある。もしかして、ビートルズって下手なんじゃないの?と。もちろん、曲完成前のリハ音源だし、まあ、バンドで曲を固めていく作業ってのは、大体あんなものなんだが、中学生の耳にはちょいと理解できなかった。要するに、完成前から完璧なはずと思い込んでいたわけだ。このテイクもかなりへっぽこなんだが、その一番の理由は、特徴的なあのポールのベースが入っていないから。自分はこの曲を聴くときは、リンゴのメインのメロディーとジョージ等のコーラス、そしてポールのベースラインが完璧に頭の中で3次元構造となって記憶されており、それをなぞりながら楽しんでいるのだ。バンドや多重録音の経験がない人にとっては、優れた楽曲も、こうやって骨となる部分から作られていくんだという判り易い見本となるテイクだろう。



[Disc-4 モノ・アルバム&ボーナス・トラック]
ここでは、モノとステレオ・ミックスの違いは解説しないが、モノ・アルバムは09リマスターとは違うものが使われている様だ。また、インナー・グルーヴ(一番最後のテープの切り張りで作られたSE)はリピートせずに1回で終わる仕様だ。
ボートラは各種モノ・ミックスが収録され、これらは初出となるものが多い。19.ペニー・レインはキャピトルのプロモ盤モノ・ミックスだが、最後にトランペットがリフレインされている。昔、『レアリティーズ』というレコードにステレオ版が収録されて話題になったが、実はその時は単にリフレイン部分を切り張りしただけのまがい物だったらしい。こちらは多分本物だろう。



[Disc-5、6 ブルーレイ&DVD]

こちらは、映像作品と、高音質ファイルによるアルバム(Disc-1)全曲となっている。映像作品はリストアされた『Sgt』のメイキングと『1+』に収録された「ア・デイ〜」「ストロベリー〜」「ペニー・レイン」の4kリストア版だ。画質は、DVDはブルーレイの足元にも及ばないのは言うまでもない。音声ファイルの方はDVD盤が…
DTS 5.1
Dolby Didital 5.1
LPCM Stereoで、
ブルーレイ盤は…
DTS HD Master Audio 5.1
Dolby True HD 5.1
High Resolution audio in 96KHz/24bit LPCM Stereo
で収録されている。
以上、この項完。

ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の50周年記念盤を聴く(その1)

ビートルズサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』("Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band"1967)の50周年記念盤。発売当初の喧騒からはや1ヵ月が過ぎたが、内容としては決して満足するものではなかったと明言したい。何か、もうひとつ、いや二つも三つも足りないものがあると感じたからだ。購入したのはスーパー・デラックス・ボックス・セットで、豪華なボックス仕様。上質紙を使った分厚く重いブックレットは、背表紙付きのかなり堅牢な作りで、その対訳ももちろん読み応え十分。酒のあてには十分すぎる内容で、汚さぬように細心の注意を払って熟読した。他にも、様々な付録が同梱されていて、こちらは正直申し分なかった。ただし、このボックスがスリップケースに収納されており、さらに帯に相当するものと糊付きの外装ビニール袋がかなり厄介で、聴く度にこの作業を行うのかと思うと眩暈すら憶える。ので、ブックレットを読んだ後は、ディスクを取り出して専用の収納ケース(こういう厄介な特別仕様から退避させるために買った)に退避させた。さて、とりあえずおまけには満足したのだが、前述の通り、物足りないのはそのディスク本体という事になる。まずは、この50周年記念盤の本体となるDisc-1のリミックス盤から。


想像以上の大きさと重量に驚く。スリップケースを外すと現れる、レコーディングテープの箱を模したボックスがカッコイイ!(まあ、アイデアとしてはありがちだけど)

[Disc-1 『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』 ステレオ・リミックス盤]
まずリミックスの定義だが、オリジナルのレコード盤を作成する際、その元となるテープをマスター・テープと呼び、そのテープから新たに音を調整したものをリマスターと呼ぶが、リミックスとは、マスター・テープの元となったマルチトラックのテープまで遡って音を弄ったものである。リマスターが基本的には音自体を大きく変更する事ができないのに対し、リミックスはそれを任された本人の裁量でいくらでも変更する事が可能だ。したがって、その本人の解釈次第では、オリジナルの音と著しく乖離する場合が往々にしてみられる。しかし、オリジナルでは採用されなかった(が収録されていた)音や、小さくて聴き取り難かった音が聞こえるようになったりと、マニア心をくすぐる場合もあり、正に諸刃の剣とも言えるだろう。今回はオリジナルの4chマルチから、デミックス(リダクションでひとつになった楽器やボーカルを個々に分離させる作業)を行い、16トラック相当での作業となっている。
今回のこのリミックスも例によってジャイルズ・マーティン。言わずと知れたジョージ・マーティンの息子である。事ある度にこのブログでも言及しているが、私はこの人のリミックスが大嫌いでw 例えば、彼の代表的な作業である『1+』。これなどは、到底受け入れることの出来ない内容だった。だから、この『Sgt』の作業も、聴く前から懐疑的で、まあ、あえて、最初からそういった色眼鏡を掛けて聴いたわけだ。最初に聴いた時は、まあ、相容れない部分もあるが、及第点はあげてもよいかな?といった印象。実はこれには訳があって、そもそも今回のリミックスは、『1+』の時といささか事情が違う…というか、その方向性が最初から違っているのだ。つまり、『1+』の音は、これは友達ともよく話したのだが、要するにシリコン・オーディオ向け=イヤフォン向けのリミックスだったのだ。
例えば、こんな事を考えてみる。彼の父は女王陛下から"サー"の称号を賜る程の、世界的な名音楽プロデューサーで、正直、ビートルズの音の半分はこの人が作ったと言っても過言ではない。そんな父が関わった名曲のベスト盤をリミックスしろ、と言われたら、まず何をどう思うのだろう? 自分なら畏れ多くて辞退すること間違いなしだが、もしも、彼が極めて常識的で、いいひと、であるなら、きっと、冷静になって、どういった方向でリミックスしようかと、真剣に考え、悩み、そして世間の厳しい意見や(私のような)悪態をつく輩と闘わなくてはならない、なんてことも考えるだろう。要するに、それを全て解ったうえでの作業なのである。となると、この20世紀の大傑作を、とりあえずは、永らく後世に伝えなくてはという、使命感のようなものが生まれるのだと思う。というか、悩みに悩んだ末に、行きつく先はそこでしかないような気がするのだ。となると、ビートルズ世代や、それ以降の、アナログ盤育ちのジジババは、とりあえず置いといて、若者向けのリミックスをしようと考えたのではないだろうか? そう考えると、この私の忌み嫌うリミックスは実は正しいのかもしれない、いや、きっと正しいのだろう…なんて思ったりもする。


日本国内盤はSHM-CD仕様だ。

話を元に戻そう。そして、今回のこのリミックス。実はシリコンオーディオ云々以前に、実はきちんとした別の方向性が指し示されていたのだ。それは、モノ盤のステレオ化、である。ビートルズのアルバムは、『ビートルズ』(通称"ホワイトアルバム")まで、モノ盤とステレオ盤の両方が存在していて、実はそれぞれミックスが異なるのだ。当時のジョージ・マーティンビートルズのメンバーは、このモノ盤を前提にミックスを施しており、ステレオの作業にはメンバーは関わらなかったというのが定説だ。従って、彼らにとってはモノミックスこそが本来の姿であるのだ。しかしながら、実際に流通した多くはステレオ盤であり、モノ盤はいつしか市場から消え去り、次世代の多くの人間にとっては、ステレオ盤こそがオリジナルであったわけだ。そこで、今回は、本来のオリジナルである、モノミックスをステレオ化しようという案に基づいて作業が行われたということなのである。だから、今までのリミックスとは根本的に違う作業だったのだ。従って、『1+』で苦言を呈した、あの変てこりんなベースだとかバスドラの音だとかが、今回にはない。ただ、いくつかの部分、例えばリンゴのドラムの音だったり、音の定位だったりで納得がいかない部分も多々ある事は確かだ。ただ、それを言い出せばキリがない、のだ。(この項、続く)

今年も咲いたよヒメスイレン 2017

今年も咲きました。が、実はちょいとやばかった。この水連は他の水生植物も一緒に植えている(正確には鉢に植えたものを沈めている)のだが、他にもボウフラが湧かないようにメダカなんかも入れている。メダカは冬を越せずに全て死滅してしまう年もあれば、上手く越冬できる年もある。まあ、取り立てて手入れすることもなく、ほとんど放置状態なのだが、去年は秋までにアオミドロ状態になって植物は根を残してすべて枯れ、メダカも死滅した。要するに、アクアリウムの生態系がバランスを崩して、全て崩壊した、ということである。まあ、こういう話はよくあって、むしろ、手入れをせずに上手くサイクルすることの方が実は珍しい。というわけで、青くドロドロになった水を全て空け、容器も綺麗に洗い、元の通りに鉢を沈め、春先にはメダカも10匹程度投入した。結果、この通り、今年も咲いたよヒメスイレン


説明するまでもないが、ここに写っている葉はヒメスイレンのものではない。

そこから見える風景

久しぶりのライブ。正式なバンドとしては多分2年ぶりくらいだった。音楽活動を本格的に再開させたのが約10年前。その時自分の中での決め事があって、それは何が有っても活動は止めないということだった。それは音楽に対する矜持とかそういうものじゃなくて、ただ単に、このまま続けて行ったら、その先に何が有るのだろう?と思っただけだ。だから、バンドがどんな状況にあっても、とりあえずは辞めないし、音楽も止めなかった。途中、ライブをやらない時期があったりしたが、その間も、昔のメンバーで集まってスタジオに入ったり、新しいバンドの結成を画策したり、練習の助っ人に馳せ参じたり、もちろん友達のライブを見に行ったりと、音楽から離れることはしなかった。まあ、そこから、何となくいろいろなものが見えてきたのは確かで、それをここで明らかにすることはしないが、それは続けてきた人なら同じようなものを見たはずだ。



今回は新座軽音部「座音会」の主催で、自分は座音会のユニット「Toレタテminiトマト」と自分のバンド「OLive Drive」(オリーブ・ドライブ)の2バンドで出演させてもらった。「〜miniトマト」の方は、ライブの数日前にアクシデントがあって完璧なパフォーマンスに至らなかったのが残念だった。本体の「OLive Drive」は名前だけはそのまま引き継いでいるが、中身は全く違うので、新しいバンドといってもいい。形になるまでに約1年かかってしまったが、演奏の出来としてはまずまずで、及第点は付けてもいいかな。





「〜miniトマト」の連中と、武道館の話をしていた。あのステージから見える風景ってどんなんだろうと。誰が言ったか忘れたけれど、きっとそこから見えるものの本質は、このライブハウスでも、武道館でも同じなんじゃないかな?、と。確かにここでは、ステージから客席までの距離は目と鼻の先だけれど、そこから立って見える景色は、客席側からのそれとは全く違う。あの、肌がヒリ付く感覚は、誰もが味わえるわけじゃないのだろう。

くらもちふさこ『花に染む』が完結!

最近じゃあコミックなんかの情報を積極的に追いかけなくなってしまったので、ふらりと寄った書店でいきなり新刊に出くわしたりするが多い。この『花に染む』もそうで、いつのまにやら第8巻で、いつのまにやら完結していた。実は、実際に買ったのは今年の1月頃だったのだが、ちょいと多忙で、つい最近ようやく読み終わったという次第。



この作品は、そもそもが『駅から5分』というパラレルなストーリを持つ、ちょっと変わった作品のスピンオフで、突然『駅から〜』の連載が中断となり、それに取って代わったのがこの作品ということになる。まあ、母屋が乗っ取られたようなもんだが、『駅から〜』のとある場面が『花に染む』にひょっこりと顔を出すことがあったりして、そんな場面に出くわすと、おもわずにやりとしてしまうのだ。ところでこの作品、なんでも、今年の手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞したそうだが、審査員の誰かが「読み手を選ぶ」みたいなことを書いていた。この、読み手を選ぶとはどういうことなんだろう? それは、作品が読み手に対して、ある程度の読解力を要求することだと勝手に解釈している。実は、この、漫画を読解する力を養ってくれたのが、くらもち作品自体だったりする。高校生の頃出会った彼女の作品は、それまでのどの漫画よりも読解力を必要とした。例えば、彼女の多くの作品では、女性主人公が思いを寄せる男性は、ことごとくものを語らない。そればかりか、主人公ですら多くを語らない場合もある。結果、読者は、それ以外の情報を元に、主人公たちの感情を分析していくのだが、物語が難解であればあるほど、情報は膨大な量に達する。それらを元に、登場人物の、ちょっとした表情やしぐさをとって、それが何を意味するのかを非常に注意深く類推したりするのだ。それは、小説で言うところの、"行間を読む"という作業に似ているのかもしれないが、とにかく、そういった作業は必須で、普通の漫画のように、すらすらを読み進めることは絶対に出来ないのである。そんな中でも、この『花に染む』の主人公達は極めて無口である。その分、他の登場人物が饒舌かというと、全然そんなことはなく、要するに、読み解くのが非常に困難な作品であるといってもよい。特に、主人公"花乃"の"陽大"に対する思いが、恋愛なのか友情なのか、それともそれすらをも超越する存在なのかが非常に判り辛いので、その分感情の分析が難しい。更には、前述の通り、『駅から5分』との絡みもあったりするので、その度に"母屋"を引っ張り出して確認しなくてはならないのだ(別にしなくてもよいがw)。まあ、考えようによっては、そういった作品を読み解く作業こそが、くらもちファンにとっての至高の喜びなのだろう。最後になったが、この作品に収録されている「駅から5分 -last episode」をもって『駅から5分』も完結となる。壮大な物語、である。

YesのSACD『海洋地形学の物語』を聴く

何故かわからないけど、世の中にはタイミングってのがあって、それがいつまで経ってもどうしても噛み合わないって事がよくある。そのなかのひとつが、いつかは買おう買おうと思っているのに、何故か買えずに、未だに持ってないアルバムってのがある。まあ、理由はいくつかあって、例えば、それが名盤とされるものよりも僅かに評価が低いアルバムで、なかなか踏ん切りがつかなかったり、2枚組で金額的にちょっと手が出しにくい、なんて実にケチ臭い理由だったりもする。また、若いころ、友達から借りたLPをカセットにダビングして死ぬほど聴いたんだけど、逆にそれで満足してしまったアルバムってのもある。実はビートルズ関連のアルバムも例外ではない。やっぱりポールの『レッド・ローズ・スピードウェイ』や『ラム』は超名盤で買いたいと思っている、が、持ってはいない、のである。


さて、そんな中、Yesのアルバムで所有していないもののうちの一枚が、この『海洋地形学の物語』("Tales from Topographic Oceans" 1973)だった。買えなかった理由はいくつかあって、まあ、『危機』や『こわれもの』といった超名盤に比べれば評価が低いというのがある。これは、製作途中でリック・ウェイクマンが脱退してしまって、どうしても中途半端な印象を受けてしまうからだ。その原因の発端となったのは、リックの大作主義への反発と言われているが、他のメンバーは彼のアルコール依存症をその理由として挙げている。また、ドラムがビル・ブラッフォードからアラン・ホワイトに代わり、リズムサウンドががらりと変わってしまったというのもある。ただ、初めて観た動くYesが、NHKの"ヤング・ミュージック・ショー"で、そこで演奏されていたのが、このアルバムに収録されている「儀式」だったので、思い入れがないというわけではない。因みに、後に発売されたライブ・アルバム『イエス・ショウズ』にもこの時期の「儀式」が収録されていて、それが文句の付けようがないくらいカッコいいのだ。
さて、ではなぜ今、買うことになったのかといえば、それは、SACDが価格改定で再発されたからである。SACD、7インチ紙ジャケ仕様で2,800円(本作は2枚組3,600円、税抜き)なら、まずまずのお買い得価格だろう。今回はLP時代から一度もオリジナルを所有していないので(ダビングのみ)、これが初めての『海洋地形学…』となるので、従来のCD等との比較はできないことを予めお断りしておく。因みにこのSACDはハイブリッド盤なので、SACDプレイヤーを持っていない人でもCDレイヤー部分のみ再生できるのでご安心を。では早速行ってみよう!


まず、紙ジャケの出来だが、これは7インチ(シングル盤と同じ大きさ)ジャケットで見た目は通常のプラケよりはいい。ただし、材質はペラ紙で、盤を収納・固定するのは7インチの円盤状の厚紙にプラのアダプターを付けただけの貧弱なもの…これは以前買ったジェフ・ベックの『ワイヤード』(ソニー)とほぼ同じだが、非常に扱いづらいので、改善が必要だろう…というか、やっぱり、7インチって中途半端で邪魔なだけかもしれない。本題の音質だが、やはりSACDは上品だなと思う。例えば、アラン・ホワイトのドラム。ティンバレスや片面タムをメインに使った非常にパーカッシヴなサウンドが特徴的だが、これがCDだと硬質的になりがちなんだが(手持ちの『リレイヤー』以降のアルバムでの感想)SACDではドラムの材質感がよく判るほど上品だ。これ、CDだと音の目の詰まった感が少ないんだよね。スカスカってわけじゃないけど、グシャっとした印象があって、まあ、そもそもパーカッション類を上品に録るってのは技術的に難しいんだけど、このパーカッシヴな…特に「儀式」におけるアランのドラムには、ちょっと感動してしまったな。しかし、SACDで最も評価されるべきポイントは、やはり圧倒的なまでの音の分離性能の良さだろう。特にYesのようにかなりの音数を誇る作品群では、それが遺憾なく発揮される。各楽器の音がはっきりと分離して聴こえることは、それがそのまま静の部分にまで影響を与える。音数が多くレベルが大きい、イコール、うるさいという事ではないのだ。そういう意味では、今まで聞いてきた、本作の前作にあたる『危機』も、次作にあたる『リレイヤー』も、恐らく"うるさい"のだ。そうして、それらのSACDを今聴いてみたいと思い始めている自分が、ここにいる。