ジョンの命日に『僕はビートルズ』の第7巻を読む

ジョンの命日だというのに、多くのメディアは何も語らず、ただただ、この日が過ぎて行く。時の流れの無情さを感じずにはいられない1日であった。
さて、いつもの様に、本屋で色々と物色していると、『僕はビートルズ』の第7巻を発見。いつの間にか発売されていた様だが、そう、あれは前巻の巻末の次巻予告を見た時の事、これはやりすぎだと思ったのだ。それは、物語の核心に触れるような文言が、大々的に載っていたから。さすがにこれには興醒めして、この記憶が薄れるまでは、ちょっとこのコミックの存在を頭から消し去ろうと思っていた次第。そんなわけで、多少遅れましたが、早速拝読させて頂きました。
※以下、ネタバレ注意!
自分達のせいで、ビートルズがこの世界に出現しなくなった気配が濃厚となり、TheFAB4のメンバーは、役者としてビートルズになりきり、その音楽を世に伝える事を決心する。ライブは大成功を収め、次なる目標を、1stアルバムの発売と同時に行う後楽園球場でのコンサートへと定めるが、開演の目前、メンバーの翔が拉致され、身代金を要求されてしまう(実は、この後半部分が第6巻の巻末で大々的に予告されていたのだ)。
写真でも判る様に、帯にはみうらじゅん氏の一文。「どうなってしまうんですか!?」に続き、小文字で「あのバンドも、ビートルズも」とある。そう、そのビートルズは、なんとなく失意のままに行方が判らず、何事も無かったかの様に物語は進行しているのである。考えてみれば、ここまでほったらかしというのも何か解せない。実際の史実に基けば、1961年当時の彼らは、ほぼ毎日、ライブハウスでのライブを行っている真っ只中で、そんな東の果ての島国のことなんぞはどうやっても耳に入ってこないはずだし、翌62年の6月にはEMIにてレコーディングを行っている。そして、この物語での後楽園コンサートは同年の4月なのだ! この先、ビートルズがどのような形で絡んでくるのか、或いは、絡むことは無いのかは判らないが、この煮詰まった状況下からの脱出口として、夢オチという選択だけは勘弁して欲しいと切に願うのであった。


僕はビートルズ(7) (モーニング KC)

僕はビートルズ(7) (モーニング KC)